「売上は横ばいなのに経費だけが増えていく」

そんな状況下で、経営改革のために費用を削減したいと考えるのは、経営者として当然の判断です。

しかし、その矛先が真っ先に「人件費」に向かっていませんか?

利益を改善する方法は大きく分けて「売上を上げるか、費用を下げるか」の2軸しかありません。
費用を下げようとすること自体は正しい方向性です。しかし、費用にはさまざまな種類があり、すべてを同列に扱うべきではありません。本当に人件費が「最初に手をつけるべき費用」なのでしょうか?

本記事では、安易な人件費削減がもたらす末路を確認した上で、「利益貢献度」という正しい判断軸から費用削減の優先順位を解説します。
経営者がすべきは全体最適であり、感覚的な判断ではなく、利益への影響を軸にした合理的な意思決定です。

1. 人件費削減の末路|多くの経営者が見過ごす人件費削減のリスクとは?

経営者が安易に人件費を削減するのは、実は非常に危険なことです。
費用削減の判断が、目先の利益確保と引き換えに、「削減した金額以上の損失」を会社にもたらすケースが後を絶ちません。人件費の見直しがなぜ慎重であるべきか、まずは組織のモチベーションや感情の観点から確認しましょう。

1-1. 優秀な人材の流出|組織の活力を削ぐ構造

「全社員一律、給与10%カット」「賞与は今回なしにする」

公平性を期してこのような施策を打った瞬間、組織内では「本当に残ってほしい人材の流出」という目に見えない損失が始まります。

会社の利益の大部分を生み出している優秀な社員ほど、今の自分の市場価値を客観的に把握しています。「経営が苦しい時に、社員の生活を守るプランが見えない」と感じれば、彼らは冷静に会社を見切り、次なるステップへ進んでしまいます。

一方で、他に行き場のない社員はどうするでしょうか? 彼らはしがみつきます。転職市場での評価が厳しいことを自覚しているからです。

結果として会社に残るのは、「人件費を削っても辞めない(=自ら利益を生む力の弱い)社員」の割合が多くなるという構図です。
目先の数字を合わせたつもりが、組織の熱量や人材力を削いでしまい、長期的な稼ぐ力を失う。これが人件費削減における最も避けたい事態です。

1-2. 採用への悪影響|「人が定着しない会社」という印象の代償

一度「人件費をケチる経営者」というイメージがつくと、その代償は計り知れません。

現代は、社員が会社の評判を容易に共有できる時代です。
「あの社長は、困ったらすぐに給与に手をつける」という噂は、口コミサイトやSNSを通じて瞬く間に広がります。これが「人がついてこない経営者」の実態です。

  • 採用難易度の激増: 有望な求職者が口コミを見て応募を躊躇し、人手不足なのに人件費削減をした結果、さらに人が集まらなくなるという悪循環に陥ります。
  • 取引先からの信用低下: 「従業員の給与に手をつけるほど資金繰りが悪いのか」と取引先や銀行に警戒され、与信管理が厳しくなるリスクもあります。

目先の数百万円を惜しんだ結果、将来の数千万円の利益機会を失うことになりかねません。

ダメな社長の特徴」と「社長が言ってはいけない言葉」について、詳しくは下記もご覧ください。

2. なぜ人件費を削ってはいけないのか?経営者が陥る判断ミスの構造

人件費削減のリスクは理解した。しかし、経営が苦しいのは事実であり、費用を下げたいという判断自体は間違っていません。
問題は、「なぜ多くの経営者は、費用削減と聞くと真っ先に人件費に手をつけようとするのか」という点にあります。

2-1. 経営者が甘えすぎ?人件費に真っ先に手をつける心理とは

経営者が人件費に目を向ける心理は、実は非常に理解しやすいものです。

固定費の中で人件費が占める割合は圧倒的に大きく、毎月の給与支払い、社会保険料、賞与と、通帳の残高が確実に減っていく恐怖は、経営者にしか分かりません。

利益を改善するには「売上を上げるか、費用を下げるか」の2軸しかありませんが、売上を上げるには時間も不確実性も伴います
一方で、費用の削減は確実で即効性があります

そして費用の中で最大の固定費が人件費である以上、「ここを削れば一番インパクトが大きい」と考えるのは、ある意味で当然の発想です。この思考に至ること自体を責めるべきではありません。

2-2. 「金額が大きい費用から削る」という判断の落とし穴

しかし、ここで立ち止まって考えてください。
「金額が大きい固定費だから手をつけるべき」という判断は、本当に適切なのでしょうか?

費用にはさまざまな種類があります。変動費と固定費、直接費と間接費、そして利益に直結する費用とそうでない費用。すべてを「金額の大きさ」だけで判断するのは、あまりに乱暴です。

たとえば、年間1,000万円の広告費が3,000万円の売上を生んでいるなら、その広告費は利益に貢献しています。
同様に、年間5,000万円の人件費が1億円の売上を支えているなら、その人件費もまた利益を生み出す源泉です。
利益に貢献している費用を削ることは、利益そのものを削ることに等しいのです。

2-3. 費用削減の正しい判断基準は「利益貢献度」である

では、どの費用をどの順番で見直すべきなのか。その判断基準は「利益貢献度」です。

経営者がすべきは全体最適です。収益につながるのであれば、そのコストは正当な投資であり、安易に削るべきではありません。
逆に、利益への貢献が曖昧な費用、惰性で支払い続けている費用こそ、真っ先にメスを入れるべき対象です。

つまり、費用削減で問うべきは「この費用は金額が大きいか?」ではなく、「この費用は利益を生んでいるか?なのです。
人件費を削る前に、まずは自社のすべての費用を利益貢献度の視点で棚卸しすることが、正しい経営判断の第一歩です。

経営がすべき全体最適」と「経営を失敗する原因」について、詳しくは下記もご覧ください。

3. 人件費見直しは最終手段|人件費の前に見直すべきコストの優先順位

利益貢献度を基準に考えると、人件費よりも先に見直すべき費用が見えてきます。感情的な焦りを排し、ロジカルに各費用を分類すると、コスト削減は以下の「4つのステップ」で進めるのが鉄則です。

  1. 【経営・役員関連コスト】 利益を生んでいない役員報酬・交際費
  2. 【惰性コスト】 使っていないSaaS・無駄な家賃などの固定費
  3. 【外部コスト】 惰性の外注費・赤字取引(悪い売上)の断捨離
  4. 【最終手段】 人件費(パート・残業・賞与などの最適化)

利益貢献度が低く、かつ組織のモチベーションへの悪影響が少ないものから順にメスを入れていく具体的なアプローチを解説します。

3-1.【優先度1】役員報酬と交際費|経営陣からの姿勢を示す

利益貢献度の観点で最初に問い直すべきは、経営陣自身に関わるコストです。役員報酬や交際費は、直接的に売上を生んでいるでしょうか?

社員は経営陣の姿勢を驚くほどよく見ています。
「経営陣が身を切っていないのに、現場のコストが削られる」と感じた時点で、組織の士気は下がり、どのような合理的な戦略も浸透しづらくなります。
まずは役員報酬や交際費の適正化を検討し、危機感を共有する姿勢を示すことが重要です。

3-2.【優先度2】利益を生んでいない固定費(SaaS・家賃・リース)の見直し

次に手をつけるべきは、利益貢献がほぼゼロの「惰性コスト」です。

  • 使っていないSaaS・サブスクの解約: 1アカウント数千円でも、全社で使われていないツールがあれば年間数十万のロスです。
  • オフィスの適正化: リモートワークの浸透で空きスペースがあるなら、移転や縮小も検討材料です。
  • 通信費・リース料: 3年以上見直していない契約は、相見積もりを取るだけで下がる可能性があります。

これらは利益への貢献が低い割に、毎月確実にキャッシュを流出させています。人件費に手をつける前に、まずこの領域を徹底的に洗い出してください。

3-3.【優先度3】変動費・外注費と赤字取引の断捨離

惰性で発注している外注先や、仕入れ価格の交渉を避けていませんか?
品質を維持しつつコストダウンの交渉を行うことは、経営者の重要な仕事です。

加えて見直すべきは「悪い売上(赤字取引)」の断捨離です。
手間ばかりかかって利益が出ない取引先、過剰な要求をしてくるモンスター顧客との取引を見直してください。赤字取引を切ることで現場の疲弊を取り除き、空いたリソースを利益率の高い業務に集中させることができます。

3-4.【優先度4】それでも人件費を削るべきと判断した場合|パート・残業・賞与の最適化

上記の費用をすべて見直した上で、なお人件費の領域に踏み込む必要があると判断した場合でも、「基本給の一律カット」は最終手段です。その前にできる最適化があります。

  • 「残業」の質の見直し: 「生活残業」や「付き合い残業」が常態化していないか確認し、ITツール導入や業務フロー改善と組み合わせて、所定労働時間内での生産性を最大化します。
  • 固定費の「変動費化」: 繁閑差が激しい業務を外部パートナー(業務委託・フリーランス)に切り替え、固定的な人件費リスクを下げます。正社員は会社のコア業務に集中させましょう。
  • 賞与の利益連動化: 固定給は維持しつつ、賞与を業績連動型に切り替えます。「会社が儲かれば還元する。苦しい時は共に我慢する」という仕組みで、リスクを組織全体でシェアする体制を作ります。
■ WORK:あなたの会社のコスト構造を診断してみましょう

ここまで、費用削減は「利益貢献度」を軸に優先順位をつけるべきだと解説してきました。しかし、自社の費用を客観的に評価できているでしょうか? 以下のツールで、あなたの会社の各コストカテゴリを「利益貢献度」で評価し、本当に人件費から手をつけるべきなのかを可視化してみてください。

WORK
あなたの会社のコスト構造を診断
本当に人件費から手をつけるべきか?
各費用カテゴリの「利益貢献度」を5段階で評価し、削減すべき優先順位を可視化します。

会社の収益構造」について、詳しく知りたい方は下記もご覧ください。

4. 人件費の特質|他の費用とは異なる「資産」としての側面

ここまで、費用削減は「利益貢献度」で優先順位をつけるべきだと解説してきました。
しかし、広告費や外注費などの他の費用と比較したとき、人件費には単なるコストではなく「資産」としての要素が強いという特質があります。それを理解した上で判断することが求められます。

4-1. 「投入→成果」の単純な方程式では測れない先行投資

広告費を100万円増やせば売上がいくら伸びたか、比較的簡単に測定できます。しかし人件費はそうではありません。

社員への報酬は、「今月の労働の対価」であると同時に、将来生み出す成果への先行投資です。
経験の蓄積やチームワークの醸成といった要素は評価が難しく、短期的な数字には表れにくいものです。

だからこそ、会社が必要とする人件費を削ることは、他の費用を削るよりも影響が大きくなります。削った瞬間に失われるのは長期的な組織の「知」や「力」である可能性が高いのです。

4-2. 人件費カットは一時的ではなく「負の連鎖」を引き起こす

もう一つの視点として、他の費用の削減が「その場限り」の効果であるのに対し、人件費の削減は「連続的な負の連鎖のきっかけ」になりやすいという現実があります。

たとえば、広告費を削った場合はその月の集客が落ちるだけで済むかもしれません。
しかし、人件費に手をつければ「明日は我が身かもしれない」「次は自分がリストラされるのでは」という不安が社内全体に蔓延し、その影響は長く尾を引きます。

経営の厳しい局面であっても、単なる数字上のコストとして扱うのではなく「働く人の基盤を守る」という視点を持つことが、中長期的な組織の信頼構築につながり、負の連鎖を食い止める防波堤となります。

4-3. 人を削るのではなく、業務を効率化し価値を最大化する

「人件費が重い」と感じるなら、人を減らすのではなく、一人あたりの生産性を上げる方向に目を向けてください。

定型業務の自動化やツールの活用により、人がやらなくてもよい業務を効率化できれば、社員は付加価値の高い業務(=利益に直結する仕事)に集中でき、結果として一人あたりの利益貢献度が向上します。

「人件費をいかに削るか」ではなく「人件費あたりの利益をいかに最大化するか」。このロジカルな思考への転換が、持続的な企業経営における正しいアプローチです。

経営の仕組み化」について、詳しくは下記もご覧ください。

まとめ|安易な削減を避け、全体最適なロジックに基づく判断を

「駄目な経営者ほど人件費を削減する」——この言葉の背景には、明確な判断軸を持たないまま、単に「金額が大きいから」という理由だけで人件費に手をつけてしまうことへの懸念があります。

経営者がすべきは、目先の数字への不安に流されることではありません。「利益貢献度」という客観的な基準ですべての費用を俯瞰し、全体最適の視点から順序立てて見直すことです。

同時に忘れてはならないのが、人件費とは「将来の成長に関わる人への投資」であり、現場の活力やモチベーションに直結する重要な資金だという点です。数字上のコストとして扱うだけでは、組織の信頼を損なう結果に繋がりかねません。

まずは利益貢献度の低い費用から論理的に整理を行い、徹底して無駄をなくす。そのうえで大切にすべき「人」の価値をいかに仕組みの中で最大化するかを考える。この「冷静な構造的判断」と「人への投資意識」のバランスをとることこそが、組織を再び前進させるための合理的なアプローチです。

黒田訓英

監修 / 黒田訓英

株式会社ビジネスバンク 取締役

早稲田大学 商学部 講師

経済産業大臣登録 中小企業診断士

日本証券アナリスト協会認定アナリスト(CMA)

日本証券アナリスト協会認定CMA

日本ディープラーニング協会認定 AIジェネラリスト/AIエンジニア

JDLA認定AIジェネラリスト/AIエンジニア

ライター / 保坂 太陽

株式会社ビジネスバンク プレジデントアカデミー編集部

株式会社ビジネスバンク
プレジデントアカデミー編集部

起業家インタビューEntrepreneur事業部 事業責任者

起業家インタビューEntrepreneur事業部
事業責任者

早稲田大学 商学部 井上達彦 研究室