INNOVATORS’ GUILD事業部が1年間の起業インターンの体験を綴った
ブログリレーを開始いたします!
2019年9月25日〜9月26日に
メンバー1人1人より1年間の感想をもらいました!
ぜひ御覧ください!

 

ブログリレー第10回 理想と現実の狭間で

みなさんこんにちは。

 

今回からResearchable事業部に代わり、NoButs事業部の川上がお送り致します。

 

(稚拙な文章はさることながら、はてなブログの使い方がわからず太字や赤字などの工夫が全くない為、読みづらいかもしれません。大変申し訳ございません。)

 

 

 

私たちNoButs事業部はこの一年間を通して

最も収益を上げたチームでありながら、最も理想と現実とのギャップに悩まされたチームだった、と自負しております。

 

この一年間、事業運営をしてきた中で反省すべき点はいくつもありますが、その中でも

私はミッション・事業案・チームマネジメントの3つの観点から理想と現実について、その振り返りをさせて頂きます。

 

 

まず始めに、ミッションに関する理想と現実について。

 

ミッションとは何のためにチームとして集まり、事業を運営していくかの判断基準・使命の事を指します。

 

REALに携わる方であれば授業で既にご存知だと思いますが、本来ミッションが目的であり、運営する事業は目的を達成する為の手段に過ぎません。

 

ですから当然ミッションは事業を考える前のチーム結成時(もしくは前)に決めるのが理想でした。

 

しかし現実では、個人が考えた事業に対して

いいと判断したところに人が集まり、チームは結成され、そして結成後に事業に合わせたミッションを考える事になりました。

 

つまり順序が逆だったのです。

 

(これはチーム決めを行う授業の特性上致し方ない事であったのは重々承知してますが、事業起点ではなくミッション起点で社長決め・チーム決めを行うという方法であればあるいは結果は変わっていたのかもしれません)

 

これがNoButsで起こった最初の理想と現実のギャップです。

 

 

ミッションの後付けというのは大事な場面で大きく響いてきます。

 

それが次の問題、事業案の理想と現実に繋がります。

 

最初期は、アイデアを持つ学生起業家と、それに共感したスキルを持つ学生エンジニアがチームを結成し、アイデアを実現。そのアイデアで得た収益の一部を運営が手数料として貰ったり、実現した事業を企業に売却する際の手数料を貰ったり、企業による学生の引き抜きが発生する際は斡旋料を貰う、というビジネスモデルでした。

 

しかしこれはうまくいきませんでした。

 

学生起業家がエンジニアに求める開発能力は非常に高く、エンジニアはその期待に応えるだけのスキルを保持していなかったのです。

 

チームが結成されないという事は事業が生まれない訳ですから、個人のスキルもわからないため、企業からのお金も出ません。

 

一見すると学生の起業家とエンジニアによるアイデア創出システムは理想的でした。

(REALの事業形態をイメージしてもらうとわかりやすいかもしれません)

 

ただ現実は、誰のニーズも叶わず事業として成り立たなかったのです。

 

 

多くの皆さんはBIDや起業の技術、その他ビジネスコンテストなどでアイデア創出の場面を経験した事があると思います。

 

そこで出る「これあったら面白いよね!欲しいよね!」というだけのアイデアはまだその段階ではビジネスではありません。ビジネスとはそこに対して金銭的対価を払う事で成り立つ事象であり、面白いし欲しいけどお金は出さない、というものは全く持って意味を成さないのです。

 

シビアに、ただひたすらにどうしたらお金が出るかという事を追究するのがビジネスなのですから、当然このままではビジネスとして継続できません。そこでチーム内で、考えた案を捨てるかどうかという話し合いが始まりました(ご存知でしょうが事業を捨てる事をピボットと言います)。

 

面白いと思って始めた事業は全く誰の役にも立たずに捨てなければならない。

 

これが事業案の理想と現実です。

 

 

さて、今までやってきた事業が白紙に戻る事になっても、ここで明確なミッションがあればチームとして揺らがず、迅速に次の事業に移れるはずでした。

ミッションとは事業運営で共通する目的なのですから。

 

 

ですが、私たちにはそのようなミッションはありません。

事業ありきのミッションだったのです。

 

 

その結果、ここで事業を捨てず打開策を模索すべきだという人たちと、新規事業に早急に移るべきだという人で対立が起こりました。

 

ミッションを通して同じ方向を向いていなかった事が、チームのあり方を変えてしまったのです。

 

ミッションがいかに重要なものであったか、最早言うまでもありません。

 

この時点で既に、チームとしての統一感は損なわれていました。

 

 

最後に、チームマネジメントの理想と現実について話したいと思います。

 

事業の続行の是非で生まれた対立によって、メンバー間では暗黙の不満が生まれていました。

 

当時、代表の武田と私は、現事業に対する成長性の無さを感じ、新規事業に移るべきだと考えていました。

 

いつまで経っても平行線で結論が出ない事業の進退に関する議論は、収益化はおろか、チームとしての活動も止まってしまうような状況を招いていました。

 

そこで武田と私は代案を考え、その事業であれば収益化は前事業に比べて有望で、ユーザーも多いはずだと、ある程度二人で協議した後に半決定事項的な状態で他のメンバーに共有したのです。

 

当時は迅速に次の行動に進めるためにと最善を尽くしたつもりでしたが、これは他のメンバーを鑑みない、やってはいけない行為でした。

 

進まない議題であったとしても投げ出さず、(あるいはここでミッションを再定義して)全員が同じ方向を向いて結論を導くことが理想だったのに、チームの中で行動にずれが生じてしまったのです。

 

それ以降、各メンバーの仕事のスピードが落ちた事は誰の目にも明らかでした。

 

今振り返ってみると、メンバーの信頼を失ったあの時点で既にチームは崩壊していたのです。

 

 

REALで前期の活動が終了した時、私はメンバーの中の2人からチームを抜けたいとの旨を伝えられました。

 

残るメンバーも卒業による脱退でしたが、いずれにしても新規事業への移行には否定的であったか静観していた事に疑いの余地はありません。恐らく卒業という区切りがなかったとしても、このタイミングで抜けていたと思います。

 

 

これが、チームマネジメントの理想と現実です。

 

 

実はこの後にも新規メンバーの加入・脱退、

ピボットを始めいくつも問題に直面するのですが、その辺りは明日、武田が書いてくれる事に期待して私はそろそろ総括に移りたいと思います。(まとまりのない文章でただただ申し訳ありません、、)

 

 

ここまでで私は、ミッション・事業案・チームマネジメントの観点から理想の行動、そして現実について述べてきました。

 

ですが、私からは皆さんに向けて何かアドバイスというものはありません。

 

私たちの事業が思い通りにいかなかったのはもちろんですが、こうするべきだというアドバイスはまだこれから始める段階では現実味がないものだと思うからです。

 

「失敗して気づく」ことの大切さは体験してみて初めて気づくものです。

その意味で、REALに参加出来た事は大変自分にとって貴重なものだったと思います。

 

 

でも、もしどこかのタイミングで「ああ、そういえば昔あんなブログあったっけな」とふと頭に思い浮かんで下されば何か気づきが得られるかもしれませんね。

 

 

最後までどこか曖昧な文章になってしまい、自分の能力不足を痛感させられますが、ここまで読んで下さった皆様に感謝の意を述べると共に、益々のご活躍をお祈り申し上げまして、私のブログは締めさせて頂きたいと思います。

 

ありがとうございました。

 

 

早稲田大学商学部3年

川上竜馬

REALで共に活動した武田と新規事業の運営中(…というと今まで書いてきた事が怖くなりますね笑)

 

 

ブログリレー第11回 2度目の挑戦で見えた3つの失態

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こんにちは。第11回目のブログリレーを務めさせていただきます、INNOVATORS’ GUILD事業部の武田です。

さて、前回の川上に引き続きこの一年間の事業の振り返りをさせていただこうと思います。事業立ち上げ前半に関する部分は川上がある程度まとめてくれたので、私は後半の部分で直面した課題などを中心にまとめさせていただこうと考えております。

私たちの事業部では、こちらの「INNOVATORS’ GUILD」というサービスの立ち上げを目指して活動させていただき、僭越ながら私自身が代表として旗振り役を担当いたしました。立ち上げは想像を絶する厳しさではありましたが、学ばせていただくことも多くありましたので、この機会に「3つの失態」という観点からまとめさせていただこうと考えております。

 

稚拙な文章になるかとは思いますが、お付き合いいただければ幸甚に存じます。

 

後期に行っていた事業について

事業の振り返りの前に、実際にどんな事業の運営をしていたのか、簡単にご紹介させてください。

description

後期の事業は川上が紹介してくれた前期の事業からピボットした「新米エンジニアの教育事業」でした。具体的にはエンジニアになりたいという方と一緒にチーム開発をしながら一緒に成長していこう、という事業です。エンジニアが個人で学習するサービスは増えていますが、チームでの開発を学ぶ場所は整備されていません。前期のプランでは「そもそもエンジニアが足りない」という壁にぶち当たったので、「それならエンジニアの育成から始めよう」という発想でビジネスプランをピボットすることにしました。

さて、ではここから本題となる「3つの失態」についてお話していきます。

新規事業立ち上げ 3つの失態

 信頼関係構築における失敗

ここが最大の失敗といえると思います。通年の問題にはなっていたのですが、私のチームには「各個人が各個人の裁量の下で成果を出す」というある種の社内文化がありました。これは私自身が「成果を出してくれていれば、各員が好む方法で活動すればよい」と考えていたことに起因するものと考えています。

しかし、この方法では「何かの指示に従って行動したほうが成果を出せる」というタイプの方々の力を引き出すことができず、仕事について「これやっておいて」という丸投げに近い印象を与えてしまうことにつながりました。また、方向性がずれていた時に取り返しのつかない問題が生じる危険性もあります。

加えて、メンバー間での自己開示が他のチームに比べて圧倒的に少なかったと思います。ほかのチームが親睦会等を行う中、私のチームは親睦会どころか、チーム全体で行動することすら少ない状況でした。そのような状態ではチームメンバーが何を目指し、何のために活動しているのかが全く分かりません。

この結果、私たちのチームは全チームの中で最も多くの離脱者を出してしまうこととなりました。1年間最後まで残って事業の運営にかかわってくれたのは私を含めた3人、そしてその共通点は、この事業を始める以前からお互いに面識と信頼関係があったということでした。事業の成果を上げるためには、活動計画云々以前にその信頼関係の構築が必要不可欠であると反省しています。

 

情報共有の不足

この失敗に端を発する問題が、後半の事業運営における最大のボトルネックとなってしまいました。これについては実際に致命的ともいえる事態を招いてしまったので、実例を交えて振り返っていきたいと思います。

 事業運営の後半ではマーケティングや見込み客フォローを見直し、柱としてTwitterアカウントの運用を新規に加入してくれたメンバーにフロントの部分を任せることにしました。当初は急激な勢いでアカウントが成長し、フォロワー数はすぐに3桁を突破。最終席には800人を超える方がフォローしてくださいました。それに合わせてLPを設計、流入数もコンバージョンを考えれば上々といえる数値でした。しかし、後が続きません。事前登録という形で登録してくださったユーザーが実際の理由を渋る事態が発生しました。ですが、当時私はサービスのβ版のテスト運用で手いっぱいで、鯨飲の究明に入ることができませんでした。運用を担当してくれていたメンバーに確認をとっても有益な回答を得ることはできませんでした。

結局原因はそのTwitterのアカウントを直接確認することによって発覚しました。それは「想定していたユーザーと集まってきたユーザーの乖離」です。そもそも私はTwitter自体をあまり使っていなかったので、Twitterアナリティクスを使って数値だけを追っていました。しかし、これではどんなユーザーが集まっているかまでは確認することができません。実際に集まってきてくれたユーザーは、私たちが提供しているサービスに対してハードルを非常に高く感じてしまい、サービスのご利用につながらなかったのです。

端的には「導線の設計ミス」のように見えますが、根本的な問題は「担当者との情報共有の不足」にあることは明白です。新しく加入してくれた担当者に対して、「ペルソナはこんな人で、このような情報を好むと思うから、それを加味した情報を発信してほしい」と明確にお願いできていればこの事態は避けられたと思います。前述した信頼関係構築の失敗と合わせて、事業運営に亀裂を入れてしまった大きな要因でした。

今回Twitterを運用してくれた担当者の方は、結局チームを去りました。決して彼に能力がなかったわけではありません。必要な情報開示のできなかった私にこそ責任がありました。

 

自分自身の精神的弱さ

極めつけがこれです。今後のために明かしてしまうと、事業の運営が後半に差し掛かった時、その過程で「これはうまく回らない」と感じることが増えてきました。当時、事業部の旗振り役と同時にβ版の開発チームのリーダーも務めていましたが、実際のところはどれもうまく回っていませんでした。先に上げた集客の問題をはじめ、β版の開発もバグと修正の嵐。最終的にはチームで開発した部分をすべて捨てて、一人でアプリケーションを作り直すことになってしまいました。アプリケーションの作り直しは本当につらかったのですが、事業の運営そのものとどちらが厳しかったのかと聞かれると答えに詰まります。

正直なところ、このような状況に陥った時にどのような対応をすればよいのか、今でも答えは出ていません。しかし、当時の私はもっとも愚劣で卑しい選択である「立ち止まる」「保留する」という方向に流れてしまったと反省しています。どんな形であれ事業に正面から向き合い、「戦い続ける」という姿勢が私には欠けていました。

 

新規事業立ち上げを推進する中で感じたこと

実は私自身、この事業の立ち上げは初めての経験ではありませんでした。高校時代に友人と開発した文化祭の情報提供アプリの事業化に向けて奔走したのが初めての経験です。当時は営業の方法から見込み客フォローの設計まで、その何もかもを知らない状態でした。当然事業は失敗、本当につらい思いをしましたし、ものすごくやつれました。

今回の事業では立ち上げのための技術的な部分を再度学びなおしての挑戦だったので、失敗の質としてはより高いものになったと思います。顧客フォローの設計や売り上げ予測しかり、システム開発もその一つです。ですが、多くのことを学んだことで、自分自身の本質的な弱さにも目を向けることを迫られることになりました。確実に言えることは少なくともこの事業の立ち上げを通じて、「起業家を志すもの」としては幾分か前に進めたということです。

有益な情報をあまりご提供できないことは心苦しく思っております。しかしながら、「敗軍の将は兵を語らず」というように、私から偉そうにいえることはありません。この経験も次の挑戦の糧として、さらなる事業の立ち上げを目指したいと考えています。ここまでお読みいただいた皆様には「こんな失敗をした人間もいるのか」程度に思っていただければ幸いです。

 

最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

 

~今回のライター~

早稲田大学商学部3年 武田政和

 

学生生活で打ち込んできたものは「キーボード」という灰色(#4d4d4d)の青春を送ってきた男。

次こそは勝利をつかむため、ともに活動した川上と新規事業の運営中