ビジネスバンクグループ代表 浜口 隆則ブログ

自己成長と社会貢献

Business Bank Group CEO / Takanori Hamaguchi Blog

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起業して約20年が経ちました。

 「国が自分に何をしてくれるかを問うのではなく、
  国に対して自分に何ができるかを問いなさい。」

20代の中頃、J・F・ケネディーの言葉に心を動かされてから「自分に何ができるのか?」を自問し続けた結果、

 

   現代は経済が人の幸福に大きく影響する時代
         ↓
   経済を活性化させるのは起業家
         ↓
   日本では起業家が育つ環境が劣悪
         ↓
   このままでは危ない
         ↓
   起業に挑戦できる社会を創ろう

 

と考えて「起業を支援する」というミッションを持った会社を起業しました。
「日本の開業率を10%に引き上げます!」を旗に掲げて
「起業環境の変革に繋がる」と思ったことを一所懸命にやってきました。

色々なことに挑戦してきました。
その過程で数千社の会社と関わり「起業の現実」「経営の現実」を
リアルに目の前で見てきました。(*1)
それは、残念ながら、甘いものではありませんでした。

20年間、そんな厳しい現実を経験してきて得た一つの結論は、
「経営を安全な活動にしないといけない」
という強い想いです。

 

昔、旅は危険でした。自国を出て世界に出るのは、
命のリスクをかける行為であり「危険な活動」でした。
ですから、一歩踏み出す人は極少数の「冒険家」しかいませんでした。

しかし、今は、冒険家ではなく、普通の人でも世界中を旅することができます。
命を天秤にかける必要はありません。

もちろん、現代でも危険な場所や一定のリスクはあります。
しかし、人類が世界へ出始めた大航海時代などと比較すると、
圧倒的に多くの人が世界中を旅することが出来るようになりました。

なぜでしょうか?

 

「安全になったから」です。

 

インフラや移動手段の圧倒的な進化によって、
誰もが安全に旅をすることができるようになりました。
旅をするのに「死ぬリスク」などを覚悟する必要など無くなりました。

私たちは、そんなリスクを深刻に考える必要もなく、
海を越え、地球の裏側にでも行くことができます。

経済や時間の制約はありますが、
命をかけなくても、行きたい所に行くことができます。

ですから、今では、多くの人が世界に踏み出して行きます。
安全になったから、人は世界への第一歩を踏み出して行けるようになったのです。

経営も同じです。

経営活動が危険で、命を覚悟するような活動である限りは、
それに挑戦しようとする人は少ないままです。
大きなリスクを取れる少数の冒険家だけになってしまいます。

もちろん、現代では、経営活動に失敗しても命が無くなることはありません。
しかし、経営の失敗は経済的なことだけではなく、
アイデンティティーに影響するなど、深い傷を残すのも事実です。

経営という活動そのものが安全になってリスクが少なくなれば、
起業して経営に挑戦する人は増えるはずです。
また、経営が失敗する確率も下がりますから辛い思いをして経営する人が少なくなります。

楽しそうに経営活動をする経営者。
ハードではあっても日々の仕事が充実していて輝いている経営者。
そんな経営者が増えれば「いいなあ」「自分も経営者になりたい」と思う人が増えるはずです。
子供がスポーツ選手やアイドルに憧れるように。

そして、一歩を踏み出す起業家が増えるはずです。
そうやって次世代の「価値」と「雇用」を生み出してくれる起業家が生まれる土壌が出来ます。

このように「起業に挑戦したい」と少しでも思った人たちが、
一歩を踏み出しやすい世界にするには「経営活動そのものの平均的な安全性を高める」しかないと考えています。

一歩を踏み出したいと思った人が、世界中に行けるようになったように。
どんな活動であれ、その活動そのものの安全性は参加者に大きく影響します。

 

ですから、私たちが今、日々、考えているのは、

「どうやったら経営活動が安全になるのか?」

ということです。

創業して20年が経ち、私たちが目的として越えようとしている壁は、
相変わらず目の前に高くそびえ立っています。しかし、

「経営を安全にした会社」

次の20年後には、そう呼ばれる会社になることを目指して、
これまでと同様、ミッションに向かって、日々、経営活動が持つリスクと対峙し続けて
「経営活動を安全にしていきたい」と考えています。

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(*1:取引のあった会社で4000社以上。セミナーや出版などのつながりを考えると数万社とのつながりがあります)

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「国が自分に何をしてくれるかを問うのではなく、

国に対して自分に何ができるかを問いなさい。」

ーJ・F・ケネディー

 

20代の頃、経営学を学んでいたアメリカで、この言葉に出逢いました。

当時は学生で、国や社会に貢献できる力はありませんでした。
しかし「国や社会から何かをしてもらうことに期待する人間ではなく、
国や社会に自分が何ができるかを考えて実行できる人間になりたい」と強く想うようになりました。

20代の後半になって、その想いを実現するべく、弊社ビジネスバンクグループ(*1)を立ち上げました。

 

「日本の開業率を10%に引き上げます!」

 

創業当初から、このミッションを掲げて、日本の劣悪な起業環境を変革/整備して、
起業しやすい社会、起業した経営者が活躍して尊敬されるような社会の実現を目指しました。

「ソーシャルベンチャー」という言葉や存在は、今でこそ浸透しましたが、
当時は、私たちのように「社会課題の解決を目的に会社を立ち上げる」というのは、とても珍しい存在でした。
今から約20年前、1997年のことです。

「なぜ起業に着目したのか?」というと、様々な理由もありますが、
一言で言えば、それが現代社会の「センターピンの一つ」(*2)だと考えたからです。

現代社会は、経済との関係なしには語れません。
そんな経済社会の中で、起業家は重大な意味を持っています。
それは、起業家が2つのものを創っているからです。

起業家が創っている2つのもの、それは

1)社会を便利にする「価値」
2)人の生活基盤となる「仕事」

の2つです。

「価値」と「仕事」は、社会に深い影響を与えます。
価値は、私たちの生活を、より便利で人間的なものにしていきますし、
仕事は、私たちの生活の基盤になります。

それらを生み出していく起業家の存在は、もっと増えるべきと思いましたし、
もっと尊敬されていいのではないかと考えるようになりました。

しかし、日本の現実は、その反対でした。
ロジカルには、その存在の重要性を理解されていたとしても、
起業家や経営者に対してネガティブな文脈が根強く存在していて
「起業家を生み出していくべき」という社会の力も弱かったのです。

私は、そこに強い問題意識を抱きました。
そんな強い想いを、当時お付き合いのあった経営者の方々にぶつけると、
ほとんどの経営者が賛同はしてくれました。

しかし、「そんなボランティアみたいなことをしても上手くいかないよ」
「国や行政がやるべき仕事なんじゃないの?」と言われて、
それを事業として起業することは、すべての先輩経営者から反対されました。

しかし、それでも、始めてしまいました。

なぜか?最も根源的な理由は「やってみたかったから」です。
自分の一回しかない人生を賭けてもいい社会的に意義のある仕事だと感じていたからです。

私たちは、人生という舞台から、いつか去る日が来ます。
そんな最後の日に「少しは社会の役に立つ仕事をしたな」と思って去りたかった。

だから、多くの先輩経営者から「失敗する」と言われようと、
何の経営資源もない本当のゼロからのスタートだとしても「挑戦してみよう」と決心しました。

不安が無かったわけではありません。
でも、そんな不安より「一生を賭けてもいい」と思える仕事に出会えた喜びと高揚が大きく、
不安を凌駕していました。

そして1996年10月頃から一人で準備を始め、
1997年2月7日に「日本の開業率を10%に引き上げます!」という
ミッションを旗に掲げて意気揚々と船出をしました。

それから20年。色々なことがあり、大変なことも多かったですが、
いつも、助けてくれたのは、このミッションだったなと感じています。
常にミッションに立ち返ることを忘れず、大切にしてきたからこそ、
何とか続けてこれたのだと考えています。

ミッションは、会社にとって、最も重要なものです。

これからもミッションを大切にして「社会の困りごとは何か?」と問い続けられる経営者であり、
「社会の困りごとを解決する」会社であり続けたいと思っています。

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(*1:当時は有限会社ビジネスバンクとして資本金300万でスタート)
(*2:センターピンはボーリングのヘッドピンのことで最も大切な要素を意味する)

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