こんな歴史の「見方」知らなかった!: 仕事に効く教養としての「世界史」 |
|
|
|
投稿日: 2014/5/26 | カテゴリー: アントレブックス(書評) |
「歴史は暗記科目。」
私も含め、多くの人がそう考えていたのではないでしょうか。“世界との関係から見る日本”という今までにない切り口で歴史を解説した本著は「自分が今まで、どれだけもったいない勉強をしてきたか」ということを気づかせてくれます。たとえば、ひとつの出来事に対しても、外部環境と内部環境という2つの視点がある。その双方を行ったり来たりすることで、すでに自分が知っていた歴史上の出来事を新たな一面から見ることができるのです。著者の出口さんは、私が以前紹介した苅谷 剛彦氏の『知的複眼思考法』に出てくる、“思考・視点のずらし”を巧みに実践しておられるのだと思います。
ペリー来航の本当の意味
ペリーは日本を開拓したかったのではなかった(p30より)。ペリーは中国との貿易を行うにあたって拠点となる場所が欲しかったのです。アメリカは太平洋の横断航路を開拓したかった。その中間地点として日本を位置づけたかったのです。アメリカがこのような戦略をとった理由としては、中国貿易で大英帝国に勝りたかったことが考えられます。日本の江戸幕府の文献だけでは「井の中の蛙大海を知らず」になってしまうでしょう。1つの事実を鵜呑みにするのではなく、他の視点から歴史の背景を見ることが大切だということに気づかされます。
中国がずっと同じシステムで成り立っている理由
儒家の中での性善説と性悪説は棲み分けが行なわれていたのではないだろうか(p106)。
従来、この2つの説は人間の本性について言及されていると考えられている。しかし、性善説は中央の官僚と地方公務員に説いたもので、性悪説は庶民に説いたものと考えることもできるのです。
中国社会の長い安定、古代の始皇帝から同じシステムでずっと国が続いているのは、世界の中で中国だけです。その秘密はこういった思想のいろいろな棲み分けの賢さにあるのかも知れないのです。人に合わせて提供するものを変える、つまりターゲティングと4Pのうまさが中国には備わっていたのではないでしょうか。
大航海時代は万里の長城によって生まれた
15世紀前半、インド洋には鄭和(ていわ)艦隊(2万7000人の世界最大艦隊)が明から派遣され、勘合(かんごう)貿易と他国の航海制限を行なっていました(p239より)。しかし、モンゴル高原のオイラートが明を北から脅かすようになると、それに対抗するために明は万里の長城を築くことを決めます。建設には、膨大な人員が必要となります。そんな人員を、いったいどこから動員したのでしょうか?そう、それが2万7,000もの人員を抱えていた鄭和艦隊からなのです。明は鄭和艦隊の人員に万里の長城を建設させました。
その結果、周囲を圧する鄭和艦隊が居なくなったことで、海上には「権力の空白」が訪れます。インド洋での航海制限はなくなり、様々な人が行き来できるようになりました。そのため、ヴァスコ・ダ・ガマやマゼランが自由に航海できるようになったのです。つまり、万里の長城建設がなかったら、「大航海時代は生まれなかった」のです。
*
歴史は複数の人々の関係の中で作られていくものです。そのため、他のプレイヤーとの関係を理解し、自分自身が「どのような行動ができるのか」を冷静に見極めなければいけません。これは、ビジネスの場においても同じこと。自身の業界にどのようなプレイヤーがいるのか、そのプレイヤーはどこを攻められたら怒るのか、どこまでだったら許してくれるのかを見極めなければいけません。相手プレイヤーとの相互関係の理解は会社を大きくしたい人にとっては、無視することのできないものです。
(野田 拓志)
コメントを投稿する
「こんな歴史の「見方」知らなかった!:仕事に効く教養としての「世界史」」に対するコメントをどうぞ!