意志を持って、愛する
NPO法人ISL Team-Y代表 / 世羅侑未
原動力は3つありますね。 1つは、私は人と会っている時にすごくエネルギーが湧くんです。さっきの話と関連しますが、人って全然違うんだなと気付いたと同時に、すごく面白いなと思ったんです。この地球上にいる人がそれぞれ全然違う可能性を持っていて、言葉にすると当たり前なんですが、1人1人が全然違う人間であることに実感として気づきました。それを知った瞬間に、すごく感動したんですよ。人のことを愛おしいって思いました。人といると、自分だけじゃ生まれなかった何かが生まれる。それが楽しくて原動力になっているかな。
2つ目ですが、テニスをやっていた時の恩師が常に言っていた、「吐くまで走れ。計算するな。」というフレーズが大きく自分に影響しています。全力でやって途中で倒れたらそれで良いから、全力でやれ、って。絶対に1試合分の計算をするなと言われ続けていました。私はこれを人生に対しても同じ様に思っています。計算をして生きていたくないですね。体力、エネルギーを絶対に後に残したくない。そのとき、そのときにちゃんと使い果たしたいんです。死ぬ時に、筋力とか体力とか、持てるエネルギーを全て使い果たして終わりたくて。意味が分からないかもしれないですけど(笑)。心臓は止まったけど体力は残っているとか絶対嫌ですね(笑)。使い果たして終わりたいんです。全て使い果たして死んでいきたい。その想いが自分を突き動かしているかな。
そして3つ目は、ミッション。使命感、という言葉が近いかな。「意志を持って、愛するということ」を伝えていきたいのです。自分にできる最大限伝えきって死にたいですね。このフレーズの意味を説明すると。私の言う「愛する」の対象は、人、目標、自分、今、環境など様々で、「情熱を持つ」「大切にする」に近い意味で使っているかな。多くの人にとって、愛情って”Be”で捉えられていることが多いんですね。例えば、感情が湧いたから愛す、みたいな。いま、好きだと思ったから、好きって言う。いま、気分が幸せだから、誰かに何かしてあげる。それはそれでいいのだけれど、裏を返すと、今は感情湧かないから、愛せない、となることが多い。初対面で、この人苦手だって最初に思っただけで、関係を諦めるとか。目標を立てたけど、今は気持ちが湧かないから、今は頑張れない、とかね。「愛情」というものを”Be”で捉えている以上その思考から抜けられない。でも私は、今この瞬間にどんな感情が湧くかって結構どうでもいいと思っています。本当に自分の心に問いかけた時に、「最終的に」仲良くしたい人とか、「最終的に」大事にしたいものなら、一時の感情に振り回されるんじゃなくて、意志を持って”Do”として、いま、愛す。ちゃんと行動・発言として、ありがとうって言ってみるとか、好きになれそうなところ探してみるとか。”Do”として(行為として)「愛する」ってのは、常に生産的に、最終的に望む状態へ向けた行動をすることです。意志を持てばできる。それを私は伝えていきたいです。