関係者全員の幸福の追求
レバレジーズ株式会社 / 岩槻知秀
大学1年時からIT企業にて経験を積む。
携帯コンテンツ開発の株式会社インデックスでの2年半のインターン経験後、オープン系システム会社の設立から関わり、要職を担当後退社。
大学卒業後、レバレジーズ株式会社を設立。
幼少のころは親の仲が良くない環境で育ちました。中学受験、高校受験をしていますから、昔から比較的勉強はしていたと思います。中学受験は失敗しましたが、その後の高校受験は合格し、進学校に通っていました。 高校進学してからは全く勉強していませんでした。初めから浪人するつもりで、浪人時代に一気に勉強しました。こういうタイプですから、推薦をもらうというタイプとは正反対でした。
そうですね。一浪して大学に入って、やっと皆と遊べると思っていたんですが、入学してすぐに借金を作ってしまいました。バイクを買ったり、学習教材を買ったり、服を買ったりしている内に200万位になっていたんです。とは言え月7、8万返済すれば良い状態だったので、学生で時間がある間は大丈夫だろうと思っていました。 しかし、独立していた父親が失敗してしまうんです。そのころから仕送りが減り始めました。返済出来ないですから、日雇い労働を始めました。
朝7時から夜7時まで毎日働いて、それに可能な限り夜勤も入れるという生活で、大学には全然行けませんでした。 この日雇い労働が、交通費も食費も出なかったので、差し引くと1日働いて6500円にしかならなかったんです。何とか時給を上げなければならないということで他のバイトを探していました。しかし男性がバイトで稼ごうと思うと、選択肢はホストかプログラマーしかありませんでした。丁度ITバブルのころでもありましたし、先のことを考えるとプログラマーが良いだろうと思い、日雇いと並行してプログラミングの勉強を始めました。
合間の時間でずっと勉強していました。行き帰りの電車の時間はもちろん、本を切ってプリント状態にして、それを袖に入れて勤務中も勉強していました。人と話している時も本を読むので、友達が出来なかったですね(笑)高校から一緒に行った友人が一人いたぐらいでした。 当時は対面で話す時間すらもったいないと思うような、異常なほど時間を大切にする生活をしていました。
すごく悔しかったですね。必死で勉強して大学入って、他の学生は遊びに時間を割いている時に、働かなければならないという状況でしたし、飲み会代の3000円も高くて、なかなか参加出来ませんでした。
また、大学も行けなかったため卒業するのに六年かかってしまったことも悔しかったです。というのも、志望していた金融業界に就職しようと思った際に、これが経歴の傷となって内定が取りにくくなるんです。人一倍努力しているのにこのような現実を迎えることは歯がゆかったです。 この悔しさをばねとして「同じ学年のビジネスマンの中では、絶対一番になる」と決意しました。
初めてのインターン先がスタートアップのベンチャー企業で、すごく忙しかったんです。ですから忙しいという意味では大きく変化はありませんでした。
その後もインターンを数社同時並行でやったりしていたので、とても忙しかったです。