目指すは「就活3.0」ソーシャル就活のモデルケースに
慶應義塾大学 / 小俣剛貴
なぜ「職業観」が大切かというと、日本の今の教育は高校を出ると「大学、専門学校、就職」の3択くらいしかありません。この時にいずれの選択も「専門化」すると言えます。専門学校と就職はまだ良いですが、大学生は表面的に社会の評価としては専門化しているだけのように思えます。それは大学3年生になって初めて、自分の専門性について考え始めるところに出ていると感じます。
これが、ミスマッチを引き起こしている要因だと思っています。高校生の頃から、「職業観」を育てるという作業をしてほしいです。培った職業観の上で、学部選びをできる。高校の時に、どういう職業があって、どういう学部ならこういう価値を社会にど創出できるということをできればいいと感じます。
そうですね。さらに言えば、その上のソー活です。そのコンセプトに共感できない人はやらない方がいいと思います。就活のテクニックとしてやるなら、意味がありません。自分に対して共感を集めるためのツールだったので、就活のツールとして捉えている人を見ると疑問を感じます。ソー活は、就職活動の切り札にはならないと思います。
時期的に、卒業旅行の話をすることが多いのですが、みんなこぞってヨーロッパに行こうと言います。理由を聞いてみると、向こう40年行くことができないからと答えます。これを聞くと職業観が養えていないと感じます。
これだけ様々なワークスタイルを持ち始めているのに、変遷の時代だというのに、全く気づいていない。それをひとつの問題意識として抱えています。
それに関連して、私の印象に残っている言葉で「最初から天職を見つけることは無理だ」というものがあります。
色んな職業に触れる中で、天職を見つければいいと思います。キャリアに対して、長期的な展望を持つ必要性はないと感じます。もちろん、創出する価値が一貫していることは大切だが、その手段はいつまでも同じではありません。
複雑化して、急速に変化していく世界だからこそ、手段を固定する必要性は全くないでしょう。今後組織に依存できない時代がやってくると言われています。ならば、個人としてどれだけ価値を創出できるか見出せる人間でありたいです。それが、私のビジョンです。
一見不安定な状況が、実は安定であるという価値観を持っています。周りの環境が、どんどんグニャグニャ変わるので、それに合わせて自分もグニャグニャ変わっていかなくてはいけないと思います。
選択肢の中から、今決定打を探しています。その決定打は「涙する瞬間」だと思っています。何かを見て、聞いて、触って、感じて、涙をした時に、それこそが私の心からやりたいことなのだと思います。だから、今はまだ涙する瞬間に出会えてないので、会いに行かなくてはいけないと思っています。
カタチはわからないが、解決したいものがあれば、あとは全部手段だと思っているので。
不必要なものだとは思っていませんが、それほどお金は重要視していません。私がより重要視しているのが「なぜ自分が?」ということです。このことを私は「構図」を持つと呼んでいます。だから、意思決定するときに重要なのは、自分の中に、「構図」があるかどうかです。
良くも悪くも社会的な規範に染まらないでいてほしいです。自分の中の価値基準を人によって変わって欲しくないです。
あとは「刺されていませんか?」です(笑)。最近は色んなステークホルダーが登場しているので、どんどん人が絡んできています。時折、時間調整が下手で、人に迷惑をかけてしまうことがあります。関わる人が多いだけに、色んな人を巻き込むことも多いだけに、責任を持って動いてほしいです。そして、迷惑をかけてしまった時には、責任を持って「ごめんなさい」できるようになってね。