人生とは「成功かネタ」しかない
早稲田大学社会科学部 / 土井 直樹
twitterで連絡してから現地に向かうことが多いのですが、何も連絡をせず大学に向かい、学食で暇そうにしている学生さんに声をかけたりもします。プロジェクトの知名度も上がってきましたので、twitterで学生さんから「書きます」って声をかけてくれることも増えてきました。発信の方法としては、やはりwebサイトやtwitter、ブログなどで行っていますが、地方に行った時は、地元の新聞社にお願いする事もあります。地方の新聞って地方の内容で毎日30ページぐらい書かなきゃいけないので、ネタを探しているんですよね。だから、地方に行っていて時間のある時は電話をかけて、今やっている活動内容を載せてもらうようお話したりすることもあります。
「あいのり」って知ってます?最初ラブワゴンに乗る時、段ボールに名前を書いて待っていますよね。鳥取大学に行った時はまさにその感じで、段ボールに「土井ちゃん歓迎!」ってメッセージを書いて待ってくれてたんですよ!!凄く感動しましたね。大体その日のお昼に知り合った人の家に泊めてもらいながら旅をしているので、本当に周りの人に支えられて、このプロジェクトを進められているんだな〜と感じます。
1年の頃は学園祭の実行委員で活動をしていました。とても楽しくて友人も多くできたのですが、少し物足りなさを感じたんです。せっかく上京してきたのに関わる人達が大学内しかいない、ということがその物足りなさを感じていた理由でした。日本の大学の約4割が東京に集中しているのに「このチャンスを使わないともったいない」と思って始めたのがインターンシップです。2年生になってから1年間営業をしました。インターンを始めた理由は先ほどお話ししたように、交友関係を広げたいという思いがあったからですが、もう一つ裏の理由があるんです。それは1年の3月に味わった苦い経験からリベンジしたかったからなんです。
自分の出身地は兵庫県の淡路島なのですが、少し前から地元の商店街がシャッター通りになり衰退していく部分がありました。その状況に、「なんとかならんものかな〜」と思っていました。そんな中、岐阜で地域活性化に燃えるNPOの方に出会いました。ここで一緒に仕事をしたら、地域再生の手がかりが学べるのではないか、と思い学校を休学して、インターン生として一緒に活動する事を決めました。 今岐阜ってもの凄く衰退している都市の一つなんです。どうしてかと言うと、電車でわずか20分くらい行ったところに人口250万人いる名古屋という都市があるからなんです。岐阜の人口も40万人ぐらいあるのですが、買い物に行くってなると、中途半端に岐阜で買うより、いろいろ揃う名古屋に行った方がいいってなっちゃうんですよね。
ただ、最初は意気込んで活動していたのですが、自分の甘さで半年間任期のところを1ヵ月で辞めてしまいました。それは、ただ単に自分が未熟だったからです。岐阜に行くと決めた時、自分はアルバイトをちょっとしていた程度の社会経験しかありませんでした。活動をし始めて一番きつかったのは広報戦略を考える会議でなかなかいいアイディアが出なくて、上司に怒られながら朝4時過ぎまで半泣きになりながらやった事でしたね。 自分が思っていた“地域活性化”の現場に実際足を入れてみると、やっぱり泥臭い活動から始めなきゃいけないんだ、ということを学びました。