ミクロとマクロのアプローチ
NGOゆいまーるハミングバーズ:モンゴルの孤児院支援 / 照屋 朋子
マンホールチルドレンとは、文字通りマンホールで生活している子ども達のことです。『モ ンゴル』というと大多数の方が青々しい草原を思い浮かべると思いますが、真冬には気温 が-30℃にまで下がる極寒の地です。
マンホールの中には温水供給パイプが通っており、地上よりも暖かいためマンホールで暮らします。 また、ほとんどの子ども達が3人から5人でグループを組んで生活し、5〜10歳の体格が小さい子どもがいるグループは、小さい子に物乞いをさせたり、歌を歌ってお金を稼がせます。その間、他の子ども達は近くで遊びながらその子の様子を見守っています。そして、1日の収入を皆で分け合って食料を買います。
10〜18歳の年齢で構成されたグループは、市場でのモノ運び、車拭き、ガム売りなど単発の仕事を探して生活の糧にします。女の子は仕事に就くのが難しいため、レストランやホテルのゴミ箱から食べられそうなものを拾ったり、外国NGOのお弁当の配給を頼りに生活しています。
そのような子供達は学校には行っておらず、日々の生活は働くか遊んでいるかのどちらかです。しかし、マンホールは汚水が漏れている所、虫が湧いている所があるなどその環境は劣悪で子ども達は常に感染病や皮膚病の脅威にさらされています。
理由は様々です。親が病気で亡くなり1人ぼっちになってしまった、親はいるけれど貧しさゆえに捨てられた、失業した親がアルコール中毒となり子どもに虐待を繰り返すため家から逃れてきた等です。どんな理由であれ、モンゴルの社会状況が大きく影を落としていると言えます。
マンホールチルドレンの現状を目の当たりにしてからは、マクロとミクロの両方のアプローチができる人間になるために法整備ができる弁護士になろうと決め、大学時代は法学部国際法を専攻し、今も大学院で弁護士になるための勉強を続けています。
しかし、大学院に入学し1カ月後に、孤児院の運営が危うくなり、孤児院に通っていた子供たちも管理しきれないという連絡が来ました。支援しなくては子どもの命すら危うい、どうしても見捨てることができないと思い、1年間休学を決意。稼いだお金を孤児院に送金しようと考え、ODA事業を行う開発コンサル会社に勤めました。しかし、初任給のなけなしの給料ではなかなか支援することもできません。
また、支援活動を一緒にやっていたメンバーがバラバラの地域に暮らしいたので、上手くコミュニケーションをとることができず、一緒に活動することができなくなってしまいました。せっかく休学したのに、何もやらないままでは意味が無いと思い、自らNGOを立ち上げ、活動し始めました
めちゃくちゃありましたね。本当にドン底を味わいました。
休学するだけでも不安だったのが、一緒にやっていこうと思っていたメンバーともやれなくなり、一人ぼっち。周りの同級生達は新しいことを勉強し成長する中で、休学してまでやろうと思った事が出来なくなり、自分だけ成長していないことがとても辛かったです。人が動いている時間帯に自分が何もできていないのが嫌で、昼夜逆転生活を送る程でした。
それから5人のメンバーが集まり、団体を立ち上げたのですが、資金集め、運営、他の団体とのやり取り等、最初の半年間は何をやっても上手くいきませんでした。
過度なストレスから右耳が聞こえなくなったこともありましたよ。また、一番辛かったのは、私が日本にいる間、モンゴルの孤児院とコミュニケーションがうまくとれずに、誤解が誤解を呼び、孤児院から絶縁宣言をされた事です。メールで「朋子さんは他の孤児院を支援してください」と入ってきた時は、涙も出ませんでした。孤児院のために、全精力、全財産をはたいてやってきたのに…と放心状態でした。
しかし、1か月後には復縁出来て、より絆は深まりました。