一度決めた信念を曲げない
株式会社プロデュース / 河崎 呈
中学生の頃に、「周りと同じでなければならない」という風土に耐えられず、学校には行かなくなりました。家ではゲームの改造をしていましたね。
ゲームのデータをインターネットで売ろうとしたのですが、お客の集め方がわからなかったので売ることができませんでした。
はい。音楽は好きでした。たとえお金が無くても、歌うことで自分を表現することはできます。自分を表現する手段として音楽には自然とたどり着きました。
実は小学校のころまでは勉強が大好きだったんです。全校生徒が30人ほどの小さな学校で、先生の教育方針が「好きなことだけやりなさい」というものでした。私はパソコンが好きだったので学校に置いてやっていましたね。しかし中学校に進学した時、いきなりクラスの人数が多くなり、あまりにも個性のない人たちの中に投げ込まれてしまったのです。
私は小学校での経験から、学校教育とは人の長所を伸ばすものだと考えていたので、個性のない教育に耐えられなくなったのです。
「不毛だな」と考えたからです。このまま高校に通っていても目的の達成に繋がらないなと感じました。それなら早いうちからお金を稼ぎ、経験値を積んだ方が早いと考えたので高校をやめることにしました。
やめた後は、家に引きこもることと仕事をしまくることの繰り返しでしたね。
母親が世界一周旅行を私の分まで申し込んでいたんです。私はそのことを出航の 3日前に知らされ、乗船することにしました。
船の上でたくさんの個性豊かな方々と出会い、接していくなかで、やはり個性を失 うことは良くないことだと確信しました。
そして本当のコミュニケーションというものを知りました。
神戸に到着後は、実家の大分には帰らず、東京の高田馬場行きのバスに乗りました。バス代が5000円かかったので、高田馬場に着いたときの所持金は262円でした。
東京ではアルバイトをして食いつなぐというその日暮らしの生活を送っていましたね。
はい。派遣社員として働いていたのですが、要領よくやることで午前中に自分の仕事を終わらせ、午後は他の部署の手伝いをすることができました。
当時、ヤフーの大阪支社を立ち上げるタイミングでしたので、お手伝いをすることになりました。そこでは業務にあわせたパソコンの手配などをしていましたね。まだまだ「ひよっこ」でしたが、手伝いができたことが嬉しかったですね。