モテないお前らは将来良い人生送れるから安心しろ
フリーライター / 中川淳一郎
うちの近くにたまたま美女が住んでいたんですね。
で、ライターの仕事を始めるという時に家賃3万円の家で風呂がなかったんです。
その近くにたまたまその美女が住んでいて、彼女が「中川さん家近いんですね」って言うから「今度飲みましょうよ」って言って一緒に飲んだんです。それで家に遊びに行ったらまぁ、いい雰囲気になってエロしちゃったわけです。その後、彼女とは時々飲んだわけですが、今のネットニュース編集やってる会社の人を紹介してもらい、今に至っているというわけですね。
いやぁ、エロは偉大ですよ。ね? 全部適当でしょ?(笑)
たぎる性欲が今の仕事につながっていますね。
ほんと?
みんなね、守るものがあるからね。俺ないもん。
ねぇ、ねぇ。全然ねぇ。行き当たりばったり。
大学2年の時に、学校で一応インターネットが使えたんですね。そこでメールアドレスを取得したんです。当時の一橋大でメールアドレス持っている人は多分5%ぐらいだったのかな。俺は他の大学のヤツと電子メールで色々やり合っていました。そんな時、オーストラリア人の女と付き合っていたんです。彼女と連絡する際の手段は国際電話かメールなんだけど、国際電話って料金が高いじゃない。なのでメールを頻繁に使い出したというのが原点です。
あとは、常見と一緒にエロ画像を、無修正でね、ダウンロードするの。10種類くらいの海外のエロ画像をダウンロードして、印刷して、そこにプロレス研究会の大会の告知を書いて学校中に1000枚くらい貼りまくる。学校中全部を無修正ポルノで埋め尽くして、プロレス研究会の告知をするの。それがインターネットとの最初の出会い。一橋大学、1996年の一時期、学内のどこを見ても無修正ポルノが貼られまくっているという異常事態にあったんだぜ。
どこにでも付いてくるんですよね。そりゃあ人間ですもの。
そんなもんよ。
いや、計算していますよ。無意識ではなく、意図的に。
超計算していますよ。
今のネット業界で何言っても反論来ないだろうなって思っていますし。 それは計算済みです。
一橋大学はエロいビラを貼っても、当時だったら別に誰も怒らないだろうし。その程度の計算ですよ。
こういうことやったら面白いだろうなとか、客来るだろうなというのは計算していないですけど、多分、予防線の張り方が重要だと思うんです。
「ウェブはバカと暇人のもの」を書いて、反発は多いんだろうなって思ったんですけど、ほとんどが匿名の人からくるというのは分かっていたし、ネット業界の人からは来ないというのも分かっていた。これも全部計算済みなんですよ。今Twitterで暴言吐いているのも、大丈夫だろうとわかっているから。
経緯は、常見が石渡嶺司さんと共著で「就活のバカヤロー」という本を書いて、その増刷お祝いの会があって、そこに俺も呼んでもらえました。そこに、同書の編集者であり、「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」も編集した柿内芳文さん(現在は、星海社新書編集長)も参加していて、彼に“オレも本書かせてくださいよ!”とお願いをしたらその後打ち合わせを経て書かせてもらえることになったのですね。
当時は梅田望夫のWeb2.0が全盛の時代でしたが、「ちょっとこれ違うな」ってずっと思っていました。ごく普通の人が見るニュースサイトなどに集合知なんかないし、基本的にネットはバカが暴言吐きまくったりする場所だと思っているので、今のネットは素晴らしいという牧歌的な空気が蔓延しているこの状況を変えたかったんですよね。
それはインターネットに従事している者としては最低限の務めだろうと。本当におかしかったんですよ。インターネット使えば夢が叶うとか、企業の商品情報が口コミで広がりまくるとか、良いことしか言わない。結局ポジショントークなんですよね。その状況に嫌気が差したというのが一番のきっかけです。
ソーシャルメディアは人と繋がる一つの手段でしかないということですね。
何かアクションを起こすときなど、Facebookで出会えたおかげだとか、兎角ソーシャルメディアのおかげで何かが出来たというのもおかしいかなとは思っています。
人間の営みである以上、汚いところがあるのは当たり前なんですね。
企業には、無数の誹謗中傷メールないしクレームが殺到しています。 それについては誰も語らないということは当たり前ですよ。 みんな汚いところはあえて言わないということです。 でも、それこそ汚いじゃないですか。全部言えよって思うじゃない。
前にも、Twitter使ってお客さんの意見を吸い上げてこんな商品が生まれましたとかよくありますけど、それって美談を集めているだけなんですよ。 本当にネットって汚いヤツばっかりですよ。ネットの良いことばっかり言っている人はカスタマーサポートやったことないんですよ。どれだけ口汚い理不尽なクレームが来ることか。「一回やってみろ、お前。」って思いますね。
今、すごく実感しているのは、現実世界でそれなりに活躍している人の方がよりうまくいくと言うことです。
土屋アンナのブログ見てもらうと分かると思うんですけど、土屋アンナのブログの左側にすごい量のリンクが貼ってあるのね。それは彼女に関連する様々なサイトなわけで、あれだけの有名人が、よりチャネルを増やして、本人はもっと儲かるわけ。強者がより強くなれる、しかも下に連なる弱者がより時間を搾取されているなっていう感じがしますよ。
仮に、俺がどこかでイベントをやるとしましょう、一発告知すれば、人は集まるんですよ。その点では俺は強者ですね。強者がネットを使って更に強くなる。
仮に、フォロワー300人くらいの人がイベント開催の告知したところで人は集まらないですよね。そういう厳しい現実があることをまず知ってほしい。 俺の場合は、それなりに本が売れたしフォロワーが一万人以上いるという状況があるからこそ人が集まるということですね。
なんか優位に立たせてもらったなという感じですけどね。
でもネット上では皆が強者であるという牧歌的な空気が蔓延している。
それは俺は大嫌いですね。
それに関してはフリーランスも一緒だと思っていて、最近ではフリーランスを礼賛する空気が蔓延しているけど、フリーは良いって言っている人は大抵イケてる人であって、「本当は惨めなヤツが多いんだぞ馬鹿野郎。」と言いたいですね。
俺は11年間もずっとフリーをやっていて、一体今までどれだけの仲間が脱落していったか。
情報発信する人はイケてる人だけ。発信できる資格持っている人やどこかから寄稿して下さいって言われる人はイケてるから依頼される訳であり、その人が言っていることは、自分が成功しましたっていう話。そこには失敗した人の話はないんです。
だから今の安易なフリー、ノマド礼賛論は本当にナンセンスだと思っていますね。