寝ても覚めてもどんな時でも、全ての夢は叶う。
株式会社和田総研代表取締役社長 / 和田一夫
僕は人生で大きな失敗を3つしました。
一つ目は今お伝えしたように、大学時代火事に遭ったことです。
二つ目はブラジル進出の失敗です。
ヤオハンは日本のスーパーマーケットで一番初めに世界進出をしました。その第一号店が、ブラジルへの出店でした。進出してから3〜4年は大成功を治めることができました。しかしその後、ブラジルはオイルショックで強烈なインフレーションが起こってしまい、物価が約10倍に上がってしまいました。日本の学者は皆、ブラジル経済は絶対に大丈夫だと言っていたから、私もそう思ってブラジルにお店を出したのですが・・・。でも結果としては大失敗となってしまいました。
僕は、SONYの盛田さん・井深さんの「どんなところにも必ず隙間はある。」という『隙間理論』から大きな影響を受けました。その理論から、SONYを世界一にした2人に憧れて『僕はヤオハンを流通業のSONYにしたい』という夢を持ちました。
当時、日本にはたくさんの大手スーパーマーケットがありました。だからヤオハンのような伊豆半島にしかない小さなスーパーでは一番になれないと思われていました。しかし、僕は一番になりたかったんです。そこで僕は、日本のスーパーがまだどこもやっていない海外進出をしようと考えました。
僕は経済を甘く見ていたんです。世間の人がみんな絶対大丈夫といったから、僕も大丈夫だと思ってしまった。人から聞いた話をそのまま信じ込んでしまったから、僕は失敗してしまったのだと思います。そもそもそう簡単に世界企業になれっこ無かったという事なんですね。
自分自身で大丈夫と確信しなかったら、絶対にお店を出しちゃいけない、ということです。
これから世界で活躍する僕の後輩たち、どの国に進出するのか、どういう事業をやるかを考えるときは、自分自身で勉強し、確認をすることを怠らないようにして下さい。
3つ目は、日本ヤオハンの失敗です。
1995年に、中国最大の百貨店を作りました。その百貨店は、オープン初日で107万人!の来客を獲得したのです。これは15年たった今でも、いまだに破られていないギネス記録です。ブラジルの失敗の経験があったおかげで、中国では大成功することができました。
しかし、それも一時的な成功で、また失敗してしまったんです。
日本の本社がつぶれてしまったんです。
当時、1600億円の借金をしていました。その当時日本には『中国は危ない』という経営学的な考え方があり、銀行の融資が滞ってしまったのです。中国は大盛況でしたが、日本の本社を倒産させてしまいました。東証第1部の会社を僕は倒産させてしまったんです。すべては私の責任でした。
良い時が、一番危ないということです。
悪い時はみんな努力するし、考えて勉強もする。けれども良い時は、成功が当たり前だと思ってしまうんです。良い時こそ、努力は必要なんです。