”幸せ”を体現する会社を作りたい
日本メガソーラー整備事業株式会社 代表取締役社長 /目崎雅昭
そうですね。僕は学生のころから、いつかは起業したいと考えていました。ただ、当時は90年代前半でインターネットも無い時代でした。そこで起業をすることのハードルが非常に高い時代だったんです。今は、ほとんど資本も無しでクラウドファンディングなどを使って、色々できるじゃないですか。でも昔はそうではないから、社会人の経験や社会の仕組み、ビジネスの仕組みを学んでから起業をしようと思いました。どこで働くのがいいか考えて、外資系の金融の仕事をしようと思ったんです。
金融の仕事は、すごい面白かったですよ。金融というのはお金の流れだから、ビジネスの一番根幹の部分を知ることができました。でも、やっぱりそのゲームの中で、人間性や倫理的な部分でよくないんじゃないかってことが多々あったんです。
要は、すべて稼いだもん勝ちなんです。例えば、利益の分配を社内でやると、その利益を、これは俺の分だ、これはお前の分だっていう奪い合いをするわけなんですね。で、そこに色んな騙し合いなどがたくさんあるんです。
そんな環境では、「いい人」でいるとやられてしまうんです。強い存在じゃないと、周りにどんどん浸食されていきます。アグレッシブに、周りの人間を食っていく、くらいの人間じゃないと生き残れません。 ただ、実は僕はそういうのが不得意では無かったんです。以外とアグレッシブにできちゃったんですよね。そうすると、仕事をやればやるほど、自分が本当になりたい自分ではない自分に、どんどん変わっていくわけですよ。そうやって、自分自身が変貌する姿を俯瞰しながら、このままいくと稼ぐことは出来るかもしれないけど、どんどん成りたくない自分になっていく自分がいました。
ある日から、周りで大成功してすごく稼いでる人とかを見ていても、全然羨ましくなくなりました。富を獲得するためのコストが、僕にとっては莫大だったんです。僕は自分の人間性というものを失ってまで、富を獲得したくはありませんでした。それで、僕は金融を辞めたんですよ。
先ほど申し上げた通り、金融業界で働き始めた時、最初は起業したいという思いがありました。そして金融では「最少の投資で最大限の利益を出す」という考え方や方法について色々なことを学びました。そこで、金融を辞めた時に気づいたことがあったんです。
自分がもし起業するなら、その会社をどんどん大きくしていこうと思うでしょう。会社を大きくするにはどうするかと言ったら、なるべく小さい投資でなるべく最大限のリターンを回していくことになります。でも、最小限のコストで最大限のリターンを得る一番いい方法は、実は金融なんですよ。
金融では、右から左にお金を動かすことで、お金をどんどん増やしていきます。ある意味、現代の錬金術です。その行きつく果ての、ウォール街に僕はいました。世界中から、とんでもなく頭は切れるけど人間性が問われない人が集まってきて、しのぎを削っているところにね。
そこに違和感を感じて金融を辞めた自分が、起業をしてしまったら、結局金融と同じことをして、会社を大きくしていかなければいけないのかと思ったら、起業する意欲がまったく失せてしまったんですよ。
そうなってくると、もうどう生きたらいいか分からなくなってきました。何が問題かと思ったら、結局それは、自分が判断している善悪の基準の問題なんですよね。要は、人生の、もっと、哲学というか思想の部分が圧倒的に欠けていたのです。
僕らが生まれてから今までの間に、インプットされることがたくさんあります。そのインプットの範囲でしか、自分のアイデアや思想は出てきません。インプット以上のアウトプットは決して出てこない。そして僕の場合、インプットは先進国の世界観だけでした。ニューヨークに行っても、先進国で暮らすと、基本的な社会構造やライフスタイルは、そんなに変わりません。そうすると、なるべく一番離れた世界に行かないかぎり、まったく違うインプットが入ってこないですよね。それで、もう自分はインドに行くしかない、と思いました。
インドが、自分の世界から一番遠そうな感じがしたんですよ。
インドって、スピリチュアルなひげ生やしてるおっさんが修行してるってイメージあるじゃないですか。(笑)
しかも、僕の知らない、なにかすごいこと知ってそうなイメージがありました。悟りとか、真理とか。他には、中南米とアフリカにも行ってみようと思っていました。
1,2週間だけ行っても仕方ないから、少なくとも半年から1年間づつそこに行って、世界中で2,3年間住んでみようと思っていました。
それでインドに行った時、すっかり瞑想にはまりました。
資本主義の最右翼である金融の世界は、ロジックの世界です。数学的に、確率とか統計とか、いろいろな数値の解析によって、世の中に何が起こるかを予測し、ベットしていくわけです。全てはロジックの積み上げです。しかし瞑想の世界は正反対なんです。ものを考えない、フィーリングや、感性の世界です。で、瞑想の先生に質問とかすると、「ダメだ、お前は頭を使いすぎだ。もっとフィーリングだ」とさんざん言われたんで、ああ、僕の求めていたものはこれだ、と思いました。彼らの言うことが合っているか間違っているかは分からないけど、それに自分自身を埋没させてやらないと理解できないはずだと思いました。
結局、インドには二年くらいいました。それくらいいると、今度は金融にいた時に感じた違和感を、瞑想にも感じ始めてきたんです。インチキ臭さだったりとか、さすがに違うんじゃないか、というのが色々なところで出てきました。僕が、全面的にスピリチュアルの世界で生きるのはちょっと違うだろう、という思いがあったんですよね。
最初は2,3年で世界一周のはずだったのですが、やはり自分が納得いくまで旅を続けようと決意しました。アフリカとか、色んなところに行って、結局僕の旅は10年近くかかりました。その中で分かったんです。なんのために生きて、なんのために会社を作るのかっていう一番の根幹は、世界の誰でも単純に「我々が幸せになりたいから」だって。
はい。先ほどお話したような旅を経て、幸せはなんなのだろうと考えた時に、色々と定義はありますが、「これが幸せ」と共通認識として持っている概念があるわけです。これは全て、万国共通であります。幸せを達成したいということが、最大限の望みであると思います。最終的に個人の幸福感に還元さなければ、例えばどんなに国民が豊かになろうが、そこに住む人たちが不幸だったら、まったく意味がないですよね。大金持ちで不幸な人と、貧乏でもハッピーな人とどっちがいいかと言ったら、そりゃハッピーで貧乏な方が絶対いいわけじゃないですか。とんでもない大金持ちでも、ものすごい不幸で、自殺するような人生は、絶対嫌ですよね。そういうものなんですよ。