本物は必ず売れる
株式会社スカイアイズ / 横部 延寿
私は高校3年生の時に休学をし、ニュージーランドの高校に留学をしました。
ニュージーランドの学校を卒業後、日本の高校でも復学をし、卒業しています。そして、高校卒業後は関西外国語大学に進学しました。吹奏楽部に所属しましたが1,2年生の時はあまり、組織の在り方や、先輩たちの思いについていけず、落ちこぼれの部員。先輩には相当迷惑をかけました。若過ぎてまったく理解できていなかったというのが本当のところです。
3、4年生の時は先輩たちのおかげで、クラブにしっかりと向き合うことができ、部活に本気に取り組みました。毎日がむちゃくちゃで楽しかったですよ。部員は100人位程度、休みはほぼ無しの部活でした。
休みの時は指導者の資格を持っていたので、他の団体を指導しに行ったり(指導者を10年間続けましたが、トータルでは40〜50団体は超えていたと思います)。音楽から離れた日は無かったといえるくらいスケジュールはパンパンでした。
私は大学でマーチングの指揮者・指導者と、対外的な折衝を担当する渉外を担当していました。100人の思いを一つにして作り上げる音楽という芸術と組織は、思った以上にいろいろなドラマが生まれるものです。当時演奏していた曲を聴くと、今でも小節ごとに鮮明に当時の事を思い出します。
部活動の年間イベントとしては、夏のコンクールと冬に開催する部主催のコンサートが特に大きなイベントです。冬のイベントは数百万というお金がかかりますので、年間をかけて全員で仕事を取りに行き演奏を行い、お金を貯めていきます。
某有名な遊園地でのイベント(パレードやスポットでの演奏)やプロスポーツの応援団、大きな大会の開会式や閉会式などですね。そのような大きなお金が動く部活でしたから、組織内でも主将や指揮者以外にも沢山の役職があります。総務、会計、監査役など、しっかりとした組織になっているのです。私はそこで社会に通用する組織について学ばせて頂いたと思っています。
正直、勉強は全然できませんでした(笑)。
毎日部活漬けの毎日でしたし、音楽はとてもお金がかかりますから当然アルバイトもしなければなりません。ですから、本当に部活とアルバイトばかりをやっていましたね。あまり多くは言えませんが、私の学生証のバーコードのコピーを持った後輩部員は多かったはず・・・。
テストになれば教授の研究室に通っていました。私は英米語学科を専攻していましたが、それよりも部活動が印象に残る大学時代でした。
私は、今までの経験があってこそ、今の自分があると思っています。
そもそも一つの音楽を作るという事は、社会で仕事をするという事とあまり変わらないと思います。会社の中でも社会の中でも色々な方がいる中で、一緒にゴールを明確にし、取り組んでいくのです。確かに個性が尊重される時代なのですが、それでも礼儀やTPOを持って、人に対して思いやりを持つ事の大切さは、吹奏楽を通じてから色々な人と触れていく中で学ばされました。
時には本気で仲間を怒らせてしまいました。一緒に涙を流したことも本当に沢山あります。そして、自分に無いものを持っている人がたくさんいたからこそ、組織がしっかりとし、運営されていました。
自分のこれが正解だと信じていたものが、ゴールへの近道ではなかったことが本当に沢山ありました。これは今でも同じ。立場や経験で違う道が見えているものです。その道を共有することができればステキですね。
無いですね。基本的に学生時代にやりたい事は全てやりきったと思っています。
結局、学生時代に戻ったとしても、私には「何かやらねば」という危機感が持てないでしょうし。それなりに時間を満喫してすごしてしまいそう・・・(笑)。常に背水の陣を好んでしまいますから。
敢えていうと語学というのが正解なのかもしれませんが、英語、スペイン語、中国語、韓国語、アラビア語、イタリア語、を大学では勉強していたんです。しかし英語しか話せない・・・。そんな私が学生時代に戻ったとしても話すことができようになるなんて、おかしい話ですよね(笑)。
周りを気にせず、僕たちが何を感じているとか考えず、それよりも自分がやりたい事を精一杯楽しんで!!何も悪い印象はありません。
唯一伝えたいことは、やりたい事や熱中出来る事、楽しいことがまだ見つかっていない方は、夢中になって見つけて欲しいと思います。見つけたらがむしゃらに頑張れる、それが大学時代だと思いますね。もし見つけられないなぁ、という方がいるのであれば、「見つけるお手伝いをしてあげたいなぁ」と思います。