「発信」するということが、私の行動基準
慶応義塾大学 / 柳川あかり
私は、慶應には高校受験で入学しました。小さい頃からクリエティブな分野にも興味があり、美大に行くことも視野に入れていたのですが、完全にクリエティブな方向に行くことはしませんでした。というのも、将来のビジョンを見据えた時に「クリエティブ×マーケティング」で中間の視点からビジネスをしたいと考えたからです。
そのビジョンを実現するために、慶應の環境は私の中では、最適だと思ったからです。
小さいころから、活動的だったと思います。しかし、大学に入ってからチャンスが広がりました。それは、高校までは学内の活動が多かったのですが、大学に入ってからは、社会と接する機会が増えました。
また、社会と接する機会が増えたと同時に、参加者から企画者の側にもシフトしたのもチャンスが増えた要因だと思います。
常に動いていなくてはいやなので、元々の活動がどんどんステップアップしているイメージです。そして、私の中でそれがモチベーションにもなっています。
好きでやっているから長続きするんだと思います。それに、色々な活動をしている中でも、一つの軸を持っています。それは、発信することです。どんな発信方法があるだろうか、どうやったら人に伝わるだろうか、とかを考えてきました。そのために、色々なメディア系のことに取り組んできました。
そうなんですよね。三田祭のMC、映画のアフレコ、横浜のUstream番組の作成、政治家の秘書など、本当に様々なことに携わらせていただきました。
Samsungインターンや個人のソーシャルメディアを使ったプロモーション活動では、ソーシャルメディアというメディアの素晴らしさを改めて知る機会になりました。
地元の開港祭の親善大使では、自分がメディアになるという体験もさせていただきました。
こうして振り返っても、やはり「発信」するということが、私の行動基準になっていると思います。
大学3年生を迎える前の春休みに、カンボジアに行ったことです。それは、旅行ではなく、考古学者の教授の発掘のお手伝いで参加しました。
そこで、半分聞いたことで半分実際に見たことがあります。現地の人は、盗掘をし、それを売却し、お金を得ていました。しかし、本当はもっと歴史的に価値があるものです。そこで、教授が現地の人一同を介して、歴史的価値についてレクチャーをしました。
すると、現地の人たちの目の色が変わるのを感じました。歴史の価値を理解し始め、どんどん発掘の手伝いをしてくれるようになりました。それだけではなく、自分たちの土地の歴史や文化の価値を知ることで、生活自体も生き生きしだしたんです。
この貴重な経験を通じて、日本にも同じ事が言えるのではないかと思ったんです。自分の生活は当たり前すぎて、一見ごみのように思えるものも実は埋もれている価値があると思います。それを伝えられたら、革新的な出来事がなくてもみんなハッピーになれると思います。