素敵になって欲しい
Dear Image / 工藤 亮子
一切ないです。サッカーのことだけ考えていて、当時は楽しければ良かったですね。
新卒でモルガン・スタンレーの東京支社に就職しました。お金の流れを知ることは大事だと感じて、金融がいいなとは思ったのです。就職は、今後の選択肢がより多く残るような選択が良いと思いますよ。ちなみに、僕は自分が良いなと思ったらそれで良いので、まったく周りの目は気にしないですね。
日本人はチームワークが優れていて、勤勉で非常に優秀ですが、みんな人に干渉し過ぎで、周りを気にし過ぎる人が多いところがもったいないです。人に迷惑を掛けないことが大前提ですが、自分がやりたいことをやれば良いと思います。
モルガン・スタンレーでは2年半働いていました。優秀な人たちがどういう風に仕事をして、どんな風に考えているのか、論理的な思考を吸収できました。それから、世の中で活躍されている人は大変な努力をされているんだなと学べたことが一番大きかったですね。
もちろん、そうです。それがベースになっていて、努力すること、一生懸命になることは素晴らしいことだと先輩方を見て学ばせていただきました。
お客様に誘われたんです。アドバイザーをして企業買収を手伝っていたお客様から、「一緒に投資しないか?」と非常に魅力的な挑戦できる話をもらえたので、転職することにしました。金融業界ではアドバイスする側にいたので今度はアドバイスされる側に行ってみたいと思ったんです。
20代は、なるべくいろいろな経験をして、人に会って自分の視野を広げた方がいいですよ。そういう経験を通じて次に自分が何をするか判断していけば良いと思っています。
大きいキャリアの枠組みの中では、20代は学びのフェイズですよね。そこでアウトプットを出そうとする方が無理あります。20代のアウトプットは、目の前にある言われたことをがむしゃらにやることだと思います。
なので、深く考えずに、良いと思った先輩の言っていることをがむしゃらにすることですね。スポーツで言うと筋トレや基礎練習に近いです。試合のことばかり考えても仕方ないですから。仕事をする上で何をすると自分はワクワクするのか、楽しいのかを見つけるのが20代の仕事だと思います。
何をやりたいか迷っていた時に、日韓ワールドカップの日本対ロシア戦を観に行ったんです。日本が初勝利し、サムライブルーの6万6千人が熱狂の渦に包まれ、見知らぬ人と抱き合いながら、気づくと、僕の涙から大量の涙がこぼれていたんです。その時、「仕事で鳥肌が立つほど感動して涙する瞬間はあるだろうか?」という考えがよぎりました。そこから自分が好きなことを振り返り、やっぱりスポーツが好きだからスポーツの仕事をしたいと思ったんです。それで、個人事業主として1年半、藁をもすがる気持ちで、フットサル場の管理人やテニスの大会の通訳まで、スポーツと名が付く会社のお手伝いは何でもしていました。
本来、仕事は楽しいものであって、もっと言うとワクワクする遊びの延長ですね。まず、自分が楽しい、好き、やってみたいって思いの方がお金よりもよっぽど重要です。だから、スポーツ関係の仕事をしたい強い気持ちがあったので飛び込みました
「いいえ(笑)。帰国してからは英会話教室に勤めたあと、再びアメリカへ行きました。そのときの両親は、もう勝手にしてくれという感じで半ば勘当状態でしたね。
「あなたは元々いなかったことにするから」と母は電話口で泣いていました。
留学が1年では足りない、もっと勉強したいと感じたことと、当時は恋人だった主人がアメリカにいたことも理由かもしれません。「自分のためなら戻ってくるな」と言われていましたが。(笑) その後アメリカには5年間滞在、翻訳・通訳の学校を修了しました。
留学中に、アメリカに永住するべきか、日本に帰国するべきかを1年ほど悩み続けました。アメリカにいる以上、私は日本人として扱われます。自費で生活していたため、生活の厳しさも経験し、アメリカで一人でも生きていく覚悟があるのかとことん考えました。
とてもシンプルなことなんですけど、ある日,家具を購入しようとした際、その商品を日本に持って帰れるかどうかを無意識に考えている自分に気が付いたんです。最終的に日本が自分の帰る場所なんだと、帰りたいと思っている自分に気付いたので、日本への帰国を選択しました。
帰国後は東京で、アメリカから連れて帰った猫と暮らし始めました。誰も知らない土地での一人暮らしで寂しかったですね。
しかも、通訳としてアメリカと日本を行き来する仕事に就く予定でしたが、帰国後にその話が突然なくなってしまいました。途方に暮れていたところ、東京大学で助手をしていた友人の紹介で、福祉関係のNPO法人で働くことになりました。
当時は個人事業主として英語の翻訳を行ったり、カンファレンスのコーディネーターをしていました。
NPO法人で勤務した後に、ジュエリーのPRアシスタントへ転職しました。販売で店頭に立つこともあったんですが、何となくお客様に似合っているからと いう理由や、商品を売りたいという理由から「お似合いですよ」という言葉を使っていました。そこで、自分は何を基準に「似合っている」と感じているのかと いうことに興味を持ちました。
同じデザインでも色によって似合ったり似合わなかったりするのが不思議に思えたのです。 その後ジュエリービジネスの立ち上げに誘われ転職したものの、化粧品事業部に配属されました。当時の同僚に「オーラソーマ」の講習に連れて行ってもらったことがあり、その帰り道に、不思議とワクワクした気持ちになったんです。
その後、色が人に与える影響に興味を持つようになって、パーソナルカラーの勉強を始めました。勉強を進めていくうちに、「似合うことに関係しているのは色 だけではないのではないか?」と考えるようになり、「イメージコンサルティング」という分野があることを知りました。それがイメージコンサルタントと出 会ったきっかけです。
人が持って生まれた色素の傾向、肌や眼や髪の色と調和する色の傾向を分析するものです。客観的に「似合う色」を探し、ご自身の魅力を引き出し、輝かせていただくためのものです。
考えませんでしたね。カラースクールを卒業したのが独立の2年前で、イメージコンサルティングについても独立の1年前には勉強し始め、少しずつですが準備は進めていました。
化粧品会社に3年弱在籍しましたが、最終的には好きな事で独立したいという気持ちの方が強くなりました。周りの人には反対されたりもしましたよ。
イメージコンサルティングというのは、まだあまり知られていませんが、政治家や経営者の方向けのサービスは以前から行われています。しかし、今までは一般の方とは縁遠い所にあるものでした。 もっと身近な方にも綺麗になったり、素敵になったりして欲しいという想いを「Dear」に込めました。
外見に自信がないと内面や言動に影響が出たりします。外見に自信がなかった友人の発想を変えてあげたいと思ったのがきっかけです。