考える力を持ち、本質を捉えよ
傳田アソシエイツ株式会社 / 傳田 信行
そうですね。私は「新しいタイプの日本人です」と答えています。
インテルで長年、アメリカ企業と日本企業の橋渡し的な役割を果たしてきました。その点は非常に大きな自負があります。日本企業にはアメリカ式ビジネスを、アメリカ本社には日本式ビジネスを、状況に応じてレクチャーしてきました。その都度、両方の立場から「傳田さんは日本人じゃないね」と言われてきました。日産自動車の再建を任されたのはカルロス・ゴーン氏ですが、彼のように他国の大企業の再建を任される日本人はまだまだ少ないですよね。そういう意味で、日本人である事を大事にしながらも、「世界」というものをどこかで知っておく事が、これからの時代においても重要だと思います。
31歳の時に、突然アメリカのヘッドハンティング会社から連絡がありました。半導体会社の社長を務めて欲しいというオファーです。最初はオファーを受けようと思って、5月の連休中に、こっそりとアメリカに面接を受けに行きました。ところが、風の噂を聞きつけたインテル本社から「お前に辞めて貰っちゃ困る。絶対に辞めないで欲しい。」と猛烈な引き留めにあった。この出来事は私にとって大きな自信になりました。辞表を提出しても、大抵は受理されるような企業です。私のバリューを確信した瞬間でした。
外資系といえば、一般的には人の出入りが非常に激しいと言われています。自ら辞める事もあれば、レイオフにあう者も少なからずいます。インテルもそういう意味ではご多聞に漏れません。役員とて例外ではないし、むしろ役員こそ入れ替わりが激しかったものです。しかし、私は入社して30年間ずっとインテルのコアメンバーとして働き続けました。これは極めて希有なケースなんです。全ては、入社してずっと、人とは違う自分オリジナルのバリューをどうすれば作れるか?と、追い求め続けた結果と言えるでしょうね。
チャレンジこそが人生だからですね。私は2001年に傳田アソシエイツという会社を立ち上げました。外資系ベンチャーへのコンサルティング、日系ベンチャー企業への投資などが主な仕事です。個人的にはベンチャーは30年で終了すると思っています。30年経ったら後は惰性です。私は惰性には興味がないんですよ(笑)。
楽しくて仕方がないんです(笑)。「一身で二生を経る」と私は表現していますが、私の第一の人生はインテルでの30年間です。その後、腎臓病から奇跡的に回復を遂げました。これからの第二の人生は、ディストラクティブ(破壊的)・テクノロジーを生み出していくオンリーワン・ベンチャーに、積極的に投資や経営指導をしていこうと思っています。既成概念を打ち壊すお手伝いをする事が、私の使命だと思うんですよ。
社長の器です。社長の人間としての器を大きさを見ます。ビジネスモデルなども勿論見ますが、新しいか古いか?くらいです。倫理観や道徳観など、人間性と言われる部分こそ経営者としての必要条件なのだと考えています。
革新的なテクノロジーを有している事。それと、誰も面倒を見ない会社です。今支援している会社の1つに、70歳の社長が経営している会社があります。銀行に行って、事業計画書も読まれず年齢を理由に融資を断られた方ですね。
これからは、日本的経営が世界で通用することはまず有り得ません。日本人による日本人の為のグローバルカンパニーではいくら「グローバルです!」と指標していても決して世界一になれません。会社の役員の国籍に目を向けた方が良いんじゃないですかね。グローバル性の欠片もないじゃないですか。
世界がどんどんグローバル化していく中で、硬直的な人材登用しかできず、多様な価値観を享受できない日系企業が世界で勝てると思いますか? 80年代に日本は世界一になりました。それまでは資源を輸入して、国内で製造し、「メイドインジャパン」を輸出して、外貨を稼いでいました。当時は作れば売れたので、人材登用も年功序列で良かった。しかし、今は全くそのような時代ではありません。今までの延長線上では、ダメでしょうね。IBMがカルビーの社長を迎えたように、全く違う発想のできる人材を各社が登用をしていく必要があるでしょう。