何か社会に還元していこうとすること
カウンセリングルーム聴心館 / 国府谷 明彦
大学は中央大学の法学部だったんです。私は法学部にもかかわらず体育会のテニス部にいたんですね。それも授業で赤点を取ると試合に出させてもらえないという文武両道をモットーとした厳しい部活でして。だから3年生くらいまでは殆どテニスと法律漬けでした。さらに4年の時体育会のヘッドになってしまったので、OB会,他大学のクラブとの交流や取引先のいろんな業種の人と会ったりして、大学生にして殆ど一般企業のサラリーマンのような動きをしていたんです。その時点で社会体験をしていたので,普通の学生生活という感じではなかったですね。就職は何社か呼ばれている会社があったんですけれど、高校時代のクラスメイトの親父さんから誘われて、法律事務所を手伝ってくれということになり,誘われていた会社は全部蹴ってしまいました。法律事務所に入ってみると,親父さんが弁護士会の副会長だったのでその職が忙しく、実際の法律業務はほとんど任されて、弁護士の資格はなくとも弁護士のような動き方をしていました。その事務所には5年位いましたが,その事務所で働いていくうちに,司法試験にも途中まで受かっていたのですが,弁護士という仕事の本質や限界が見えてきて、「自分がやりたい仕事は弁護士ではないな」と感じ、事務所を辞めて転職しました。
法律事務所で扱う事件には、破産の案件,破産管財人の事件が多かったんですね。そこでは債権債務の整理がメインになるのですが,債権債務整理では帳簿を読めないと話にならないので、法律だけでなく簿記的な知識も必要なんです。それに,数字の集計はまだまだいろんなことが電卓の時代でした。当時はパソコンも初期の物が出たばかりでしたが、自分で事務所に出たてのパソコンを持ってきて、自分でソフトを作って、債権債務の計算処理をしたんです。書類もそれまで和文タイプでやっていたところをパソコンを使ってやったんですね。そうやって、法律事務所で働くうちに,経理的な知識やパソコンの知識が身につき、そして大学でみっちりやっていた法律の知識が合わさって、会社を作るための素地がほとんどできたんです。これなら自分も何かやれるんじゃないかと思って、最初は経理のパソコンソフトを作って販売する会社を立ち上げました。何名かお客さんもできて黒字でやっていたんですが、そのうちにパソコンOSでウィンドウズが出てきたんですよ。ウィンドウズのソフトは複雑で、開発にも時間がかかる。ですからこの先ソフト開発でやっていくのは難しいだろうなと思ってその会社は赤字を出さないうちに閉じちゃいました。その後は大手企業の人事管理職に転身したんですね。その時に最初は法務関係の相談に応じていたんですが、いろいろな人の相談を受けるうちに,いつのまにかカウンセリング担当という形になって。そこで,本格的な心理の勉強が始まったんです。それからがカウンセリングの人生ですね。20年ぐらい勤めた後,独立して聴心館を開きました。
起業は面白いということが第一ですね。何もないところを形にするのが面白いんですよ。もう一つは,今,心理カウンセリングってまだまだ認知度が低いんですよね。それで心理カウンセリングを社会に広めなくてはいけないという使命感みたいなものを感じていて,やりがいがありますね。
客観的にみると大変なことはたくさんあると思うんですけど、自分の中では乗り越えていくものみたいにしか思ってないんです。大変な事が起きても、課題だと思って乗り越えていく。学生の中間テストとか期末テストみたいな感じですね。別な意味で,カウンセラーとしてもそういうことは出来なくてはいけないですから。悩みや問題点が出てきたら、冷静に自分の認識や行動を振り返って分析・対処します。自分で自分のことを掘り下げていくんです。