自分なりの「オリジナリティ」を常に思考しよう!
サイバーソリューションズ株式会社 代表取締役社長 / 秋田 健太郎
僕は愛知県豊田市出身です。豊田市というと日本中のみなさんが知っている場所だと思います。自動車のイメージが強いですが、当時、周りは山ばかりで、近くに川などもあって自然が溢れている場所でした。いまは近代化してきましたが、育った当時は本当に山ばかりでした。とにかく自由に伸び伸びと育てられましたね。基本的な躾っていうか、礼儀などについては厳しかったですけど、それ以外は、親にあれをしちゃいけない、これをしちゃいけないとあまり言われたことはなかったです。そういえば、親に「勉強しなさい!」とは今まで一回も言われたことはなかったですね。「よそ様に迷惑かけないで遊びなさい!」と言われたくらいです。自慢できるくらい勉強はしませんでした(笑)。宿題も、予習も復習もやらなかったですが、それでも成績は良かったですよ。
授業で聞いたことは、だいたいその場で覚えていたからだと思います。テストに出るところは授業で習ったところだけですよね?だから授業を聞いて、教科書を読んで終わりという形ですね。ただ、それが通用したのは中学生まででした。小中はそれでトップクラスの成績でしたが、高校では通用しませんでしたね(笑)。
いや、それでも、さっぱりでしたね。県内有数の進学校に通っていましたが、卒業式の日に、担任の先生から「学年でもトップクラスに勉強しなかったね」って褒められました(笑)。ただ、部活動や生徒会長は一生懸命やっていました。今の学生には分からないかもしれないけれど、当時は何かと反抗して、常に自由を求めていました。自由を求めるために、みんなで“これ面白いからやろうぜ!”“これおかしいから変えてやろうぜ!”とかそんなことばっかりやっていましたね。そういったことで忙しかったので、勉強する暇なんてなかったかな(笑)。
ん~そうかもしれませんね。常に悪の親玉みたいな存在だったかも。悪いことはしてないけれど、残念ながら周りからはそう見られていたようです。
高校時代は弓道部に所属していました。
集中力がないと当たらないですからね。もちろんテクニックは必要ですけれど、やっぱり集中力が一番大切。とはいえ、僕的にはダーツゲーム感覚でやっていましたね。部には100人くらい部員がいました。僕は2年間部長をやっていました。なぜか僕の元に人が集まるんですよね。ただ、今と同じで優秀な人は来ない(笑)。バカばっかりですわ。
いや、暴君タイプです(笑)。子どもの頃からそうで、常に先陣切って周りを巻き込んでいました。これおもしろいからやろうぜ!やるからには絶対勝つぞ!ってね。
僕は起業しようという意識で起業した訳ではなくて、流れ的にそうせざるを得なかったんです。この会社を興す前の会社で、とあるプロジェクトのマネジメントをやっていて、その会社を清算するときに、僕はこのままやっていくからということで会社を興したのです。つまり以前の会社で僕がやっていた事業をそのまま始めたってことですね。
離れようということではなく、諸事情で会社を畳む事になったのです。志半ばだったこともあり、会社を別にして僕が始めますってことで始めた会社がサイバーソリューションズです。
起業するにあたっての苦労はありません。登記さえすれば誰でも出来ます。今は1円から起業出来ますが、当時は1000万円必要でした。それでも起業するのは誰にでもできます。
そうです。起業することは誰にでも出来るけれど、続けることが難しいのです。要は、結婚と一緒なんですよね。紙切れ1枚でできるけど、続けることが難しい(笑)。会社を始めるときは、夢や希望が山ほどありますが、これから先どうなるかは分かりませんよね。未来永劫同じように続きはしないから、時代に合わせて変化することが大切だと思います。そして経営するにあたって最低限やらなければいけないことは、会社を潰さないことです。1人でやっていくぶんには構わないけれど、働いている従業員、その家族、その周囲の人たちの生活を守らなければいけない。そうした責任や覚悟を背負いながら成長させていかなければならないことが大変です。
特にありませんでした。今の学生さんってすごくチャンスがあると思うんですよ。就職する以外に、学生時代に起業したり、卒業後に起業したり、いろんな起業する雰囲気もあります。僕が学生だった時はそういう風潮や文化はありませんでした。だから起業するという感覚は無かったですね。それと当時の僕は、起業する際に適合する部分と全く適合しない部分を持っていたと思います。だから、明確に起業しようという意識はなかったけれど、将来何かやっているんだろうなという漠然とした未来予想はありましたね。