クリエイティブを流通させる
株式会社ロフトワーク 代表取締役 / 諏訪光洋
デザインと英語を勉強するためです。InterFMは外国語放送も行うバイリンガルなラジオ局で、外国人のパーソナリティーがすごく多かったんです。そういう環境の中、僕は英語を話せなかった。そのことが苦痛で、外国人リスナーも多かった局の電話に出るのも嫌だったんです。それで「どうにかしなければ」と思ったこと、それと美術教育を受けたかった。そこでNYにあるスクールオブビジュアルアーツ(SVA)という美術学校に行きました。半年で学士を卒業し、その後大学院に進む約束を取り付けました、実際にSVAに行ってみるとクラスは独創的で刺激的だけど、技術的にはInterFM時代に全部学んだことでした。 そこで半年の学士卒業で切り上げ、先生だったデザイン事務所で 働かせてもらったり、InterFM時代にコネができた会社でデザインの仕事をさせてもらったりしていました。
1999年頃はNYでフリーランスのデザイナーをしていたのですが、その時に感じたのは「クリエイティブの営業って大変だな」ということ。自分の英語はまだたかが知れているので、相談される仕事の半分以上が日本関係の仕事になってしまう。デザイナーとしての能力には自信があったのですがなかなかダイナミックな仕事にたどり着けない。だったら営業をもっと頑張ればいいのかと言うと、それも簡単ではない。当時デザイン関係の仕事は、人づてであったり、ギルド的に徒弟の中で流通していました。苦手っていうのもありますけどね(笑)。
ちょうどその時、アマゾンやeBayなどのIT企業が出てきていて、物のやりとりがネットを介して可能になってきていました。これまで捨てられていた物が、ネットを使い必要としている人のところにまで流通するようになる。その仕組みを見ながら「こういう仕組みを作れば、クリエイティブの需要と供給も結びつけられるんじゃないか?」と思ったんです。もし、クリエイティブをもっと流通させられるプラットフォームがあったら、クリエイターにとっても、社会にとっても、自分にとっても、より幸せになれるはずだ、と。そして、その「妄想」を実現するために立ち上げたのが、ロフトワークです。
林とは22歳の時に出会いました。大学卒業後に、僕の大学の友人が「すごい面白い同僚がいる」と、彼女を紹介してくれたんです。話してみるとすごく気が合ったので、もう一人の友人を含めて3人でしょっちゅう会って飲んでました。
実は僕と林、そしてもう一人は同じ時期にアメリカに留学しているのです。僕はNYにデザイン、彼女はボストンにジャーナリズム、もう一人はワシントンにビジネス。その後林は記者の仕事をはじめるのにNYに来ることになり、ひさしぶりに再会したのです。それで「こういう仕組みを作りたいんだけど、一緒にやらない?」と誘ったことが、共同創業のきっかけになりました。
仲が良かったのはもちろんですが、僕たちのタイプが全く逆だったからですかね。僕は割と引きこもりでデザインや戦略をつくるのが好き。彼女はどんどん外に出て行くコミュニケーター。また能力としても僕はデザイナー、彼女はマーケターとしての知識があって、お互いにないものを持っていました。
InterFM時代、マーケターとデザイナーという立場でよく論争をしていました。例えば、マーケターは「売れるデザイン」が善ですが、クリエイターは「売れれば善」だけではなくそこには美やブランドなど葛藤があります。 意見の食い違いが起こるとそこに議論が生まれ、新しいものが余地が生まれます。それが必要だと思ったのです。あと一人で起業はさみしくてつまらなそうだったのから、かな (笑)。
OpenCUで開催されるイベントは基本的には無料!オープンな雰囲気の中で、クリエイティブに関する様々なイベントに参加することができる。「クリエイティブを流通させる」ロフトワークらしいサービスだ。