誠実な人柄
株式会社グローバルニュートリショングループ / 武田 猛
「自由人」という言葉が似合うS-Factoryの尾崎典明さん。
学生時代はバックパックでアジア各地を放浪。「好奇心の塊みたいな人間」そう御自身で語られるよう、自由奔放にコンサルタントとして様々な案件に従事。多忙時には数十件の案件を同時に抱える事もあるとか。
尾崎代表の独立までと、今後の展望についてじっくりお伺いしてみました。
私はごく一般の家庭に育った子供でした。高校受験で挫折してしまったことから、高校生活は勉強に集中すると決意し、部活動はしていませんでした。
勉強しているうちに、歴史がとても好きになりました。当時は高校生ながら、司馬遼太郎の本を読んだりしていましたね。 また、有吉佐和子さんの「複合汚染」という本をよみ、公害問題や環境問題、食品を通じて引き起こされる病気などに興味をもちました。
いいえ。中学までは読書より、体を動かすほうが好きでした。しかし、高校時代は部活動をしていなかったこともあり、本はたくさん読みましたね。
はい。当時、公衆衛生を専門に扱っている大学が麻布大学、北里大学しかなかったので両親に無理を言って東京の大学に進学させてもらいました。経済的な負担をかけるのは悪いと思い、学生寮に入寮しましたが、その学生寮がとても大変な場所でした。
私が入学した頃の麻布大学は体育会系の学生は皆、ガクランを着て、挨拶は「押忍」というような文化でした。 学生寮では非常に上下関係が厳しく、先輩が後輩に暴力をふるうというのは日常的に行われている環境でしたね。
また、学生寮に入ると体育会系の部活に入部しなければいけないという暗黙のルールがあったので、私はサッカー部に入部しました。 クラブごとにも序列があり、応援団、武道系、球技という順番でサッカー部は一番下でした。
しかしその中で団結力は間違いなく身につきましたし、リーダーシップを取るという事の重要性も知る事ができました。今でも学生寮時代の仲間や先輩と飲んだりもします。
大変でしたよ(笑)。私が入った頃のサッカー部は関東医歯薬獣3部リーグでしたが、私たちが幹部をしているときに優勝して、最終的(2年後)には1部リーグまで昇格したので、私たちの時代に勢いがついたのと、応援団の友人が多かった事で、私が上級生になる頃にはサッカー部の地位もかなり上の方に上がっていました。
そのことから「ルールは変えられるんだ」ということを、身を持って感じましたね。
結構真面目に勉強していました。麻布大学では一般的には3年生からゼミに所属するのですが、私は2年生の頃からゼミに入れてもらいました。
2年生の頃は部活、寮、研究室でとても忙しかったのですが、ゼミに入って学習することで、他の同級生よりもその分野に関してはアドバンテージがあったと思います。
所属していたゼミでは、勉強の仕方を身につけることができました。かなり充実した学生生活だったと思います。
私が取り組んでいたサッカーはチームで戦うスポーツですが、一人でも手を抜いたら他のメンバーに迷惑がかかります。なので、チームメンバーとしての責任を感じるスポーツです。
また、個人あってのチームプレーですので個人の責任を意識したチームワークというのはサッカーを通じて身につけたと思います。 また、大学の研究室の行事で「24時間研究」というものがありました。
川の水を1時間ごとに採取し、水質がどう変わるかを調査するというものですが、みんなで分担しながら調査することでとても責任を感じました。