人は生まれながらアーティストであり表現者
執筆家|ライフスタイルデザイナー / 四角大輔
どんな人でも何かしらの「強み」や「才能」を絶対に持っている。
10〜20代の音楽アーティストのプロデュースに約10年携わり、6年ほど大学で講師をやって、1万人近い学生たちと接してきた経験から、例外は誰一人としていなかった。
でも、社会の仕組みや、間違った常識のために殆どの人が自分独自の才能を忘れてしまっていたり、封印してしまっている。
「バランスよくやりなさい」と言われて、苦手を克服することに人生を費やしたり。
「まわりにあわせなさい」と押し付けられて、やりたいことを諦めたり。「お金にならなさそうだから」と、得意を伸ばすことを辞めてしまったり。
そんなことをしていたら、いつまでも、自分らしい武器なんて身につくはずがない。努力の方向性を間違えていると思う。
安易に人にあわせるんじゃなく、自分だけの武器を磨いていくことで、チャンスや人生の転機を引き寄せられるんだ。
ソニー・ミュージックに入社できたのも「釣り」のおかげだし、僕にとって理想のライフスタイルを与えてくれたニュージーランドの存在を教えてくれたのも「釣り」。会社員時代に、行き詰って壊れかけていた自分を復活させてくれたのも「釣り」がきっかけなんだ。僕の人生をデザインしてくれたのは「釣り」だよ(笑)。
よく、「私には何もないです」って言う人いるけど、そんなことは絶対ない。それは、誰からもスゴイと思われるようなメジャーな才能でなくていい。
それを見つけるためにまずすべきことは、頭ではなく、自分の感じたことを大切にすること。
忘れられない思い出とか。
身内は笑うかも知れないけど、自分にとってはたまらなく好きなものとか。
仕事になるかわからないけど、とにかく夢中になれることとか。
そういった、自分の「内なる心の声」と向き合うことが大事なんだ。
ほんの些細なことでもいいから、「好き」や「気持ちいい」や「ワクワク」といった、小さな心の声を拾っていくことから始めて欲しい。
その行為こそが「正しい努力」だと僕は思っている。
この努力を続けることが、「自分らしさ」につながり、「自分軸」を確立させる。そしてそれが、あなたの「独創性やアーティスト性」を復活させ、「強みや武器」になっていくから。
いまでも、自分が大人になれたとは感じてない。
よく子供みたいとか、小学生みたいって笑われるけど、それは褒め言葉だと受け取ってる(笑)。
日本だと「大人しくなること=大人になる」と考えられているよね。その価値観に違和感を感じるんだ。
『自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと』の表紙を赤ちゃんにしたのは、「変に背伸びして大人になろうとしなくていい。一番パワフルでクリエイティブに生きていたあの頃を思い出そうよ」っていうメッセージを伝えたかった。
赤ちゃんの頃に、誰もが持っていた強烈な好奇心や、周りの目を気にせずに行動し表現できる強さ、そしてあの「ステュディオスな状態」を、再起動させようって言いたかったんだ。
あともう一つ意味があって、人って、何も持たずに裸で生まれて、何も持たずに土に還っていく。帯の見返しに入っている「本来無一物」は、そういう意味をあらわす禅の言葉。
それを、赤ちゃんのビジュアルを通して伝えたかった。
あの世に持っていけない地位や名誉とか、土に還らない金銀財宝のためだけに頑張るのはやめにしようって言いたかった。
もっとも優先すべきは〝体験〟。なぜなら、モノやお金はなくなったり壊れたりするけれど、体験やスキルって一生なくならないから。
自分にとって大切なこと、ステュディオスになれること、そして僕らが生きる上で重要な地球にとってプラスになることを求めて生きようって、そういうメッセージを込めたんだ。
すべてのピースは絶対に組み合わさると信じている。
ただし、人と比べて自分が違っていることを気にして、本来のカタチを削ってしまったり、押し込めてはダメ。
元のままの「いびつな形」のままだったら、その隙間に「うまくハマる他のピース=仲間」と出会えるはずだったのに、自分の姿を変えてしまったために、その仲間との貴重な出会いを見逃してしまうんだ。
たしかに、かつて日本には、周りに自分を合わせないと生きづらい時代があったと思う。当時は、人間関係は〝リアルな世界のみ〟で、家族、学校、会社、地元といった、本当に狭い範囲だけに限られていたから。
でも時代は変わった。ITやソーシャルメディアの発達で、自分の本来の姿をさらけ出しやすくなった。
そして、さらけ出せば出すほど、自分のピースにあった仲間や情報、仕事と、どんどん出会えるようになってきている。
尖った部分を、大切に守り抜くこと。いびつな形そのままに磨き上げることにエネルギーを注いでほしいんだ。
「常識は18歳までに収集した偏見のコレクションである」という言葉を、アインシュタインが残している。
でも、常識のすべてを否定せよ、と言いたいわけではない。
親や教師、上司とか先輩などの、上の世代から「常識」として押し付けられることを「盲目的に鵜呑みにする思考」を、捨てて欲しいだけなんだ。
だから、「常識だ」「絶対に正しい」と声高に叫んでいる人がいたとしたら、まずは一度「自分の心」に問うてみて欲しい。少しでも「あれ?それってオカシクナイ…?」というような「わずかな違和感」を感じたら、その感覚を大切にして欲しいんだ。
ここで大切なのは「頭」で考えないこと。頭はすぐに洗脳されてしまうけど、「心」ってそんな簡単に他人に侵略されることはないから。
すぐに結論が出せなくてもいい。
誰かの都合で作られた常識に振り回されるのではなく、自分の心でちゃんと感じ取ること。そして、心が受け取るちょっとしたインスピレーションを大切にして生きて欲しいんだ。
繰り返しになるけれど、僕はこの世に生まれた以上、人は誰でも表現者だし、アーティストだと思っている。音楽やダンス、絵や写真といった芸術のカテゴリーで表現する人だけがアーティストではないんだ。
その僕が言う「アーティスト性」を別の言葉で置き換えると、「その人らしさや個性」が一番近いと思うんだけど、そのアーティスト性が高い人の一つの特徴として、自己表現が力強いという点を挙げられうと思う。
「これが好き」「あれがやりたい」「これを食べたい」「こういう人に会いたい」「こんなメッセージを伝えたい」といった、〝ジブン自身〟を24時間365日表現しているんだよね。
友人の家入一真さんが「起業は表現活動の一つ」と言っているけど、そのとおりだと思う。
僕は大学講義でいつも、「生きること自体が表現活動」というメッセージを伝えている。もっと細かく言えば「働くこと=表現」。
その手法として、起業、会社員、フリーランス、バイトと様々な形態があるけれど、すべてが表現活動だし。働いて生み出したもの、創造したものは全てが作品だと思うんだ。
雑務や企画書だって表現。自分で創るウェブサービスやアプリはもちろん、書類や会社だって作品。働くということは〝ジブン〟を表現すること。つまり、すべてがアーティスト活動といえる。
僕の夢は、日本中の10代20代を「アーティスト」にすること。
僕の言葉、著書、トークライブなど、なんらかの形で僕に触れる人全員をクリエイティブにしたいと思って活動している。
世の中を本気で変えようとする学生、イノベーティブなアイデアを持っている起業家の卵、ものすごいアーティスト性が高い若者に出会えたら、 僕の人脈やノウハウ、チャンスや資金を投資させてもらいたいと思っている。