人は生まれながらアーティストであり表現者
執筆家|ライフスタイルデザイナー / 四角大輔
ニュージーランド移住は、学生時代からの15年来の夢だった。
永住権を取るためには、様々な苦労とハードルがあり、本当に大変だった。
だから、やっと永住権が取れる!となった時、会社を辞めることへの躊躇はまったくなかった。
僕が退社した2009年はたまたま、担当していたアーティストの2組が、女性アルバム売り上げ年間ランキングで1位、2位を独占したこともあり、会社から強い引き止めがあったり、ヘッドハンティングの打診があった。
「なんでそんな絶頂期に辞めるの?」という声もたくさんあがった。
たしかに、仕事での成功、収入や地位といった、資本主義的というか前時代的な価値基準でみると、僕の「移住」という判断は理解不能だったかもしれない。でも僕は、シンプルに自分の心の声に従っただけ。
そんな泡のようなものよりも、長年の夢を優先したかっただけなんだ。
さっきの「本来無一物」の話にも通じるんだけど、キャリアの構築って、自分が理想とするライフスタイルを実現するためだと思うんだよね。
それがいつの間にか、本来の順番が逆転してしまって、仕事のための生活、仕事のための仕事状態になってしまう。
あくまで、ライフスタイルをデザインするために、仕事のスキルやキャリアが必要と考えるのが本来の順番のはず。
レコード会社時代の仕事はもちろんやりがいがあったし、素晴らしいアーティストやクリエイターたちと働くことはとても刺激的だった。そして、そのすべての仕事がぼくの表現であり、作品だったと思う。
でも、僕の本当の表現活動が始まったのは、ニュージーランドに移住してから。つまり、移住した39歳からが〝四角大輔の人生の本番スタート〟だったと改めていま実感している。
15年間のレコード会社での僕は「仮の姿」とまでは言わないけれど、あくまでベーシックスキルの習得期間であり、誰にも負けない強みを磨く時期であり、いまの表現活動につながる壮大なインプット作業だったと言える。
そしていま、日々どんどん自分らしくなれていて、それに伴い必要な情報や、本当に心からつながれるような仲間との出会いも加速しているんだ。
まず、欲張りすぎないこと。
いまはノイズジャングルの時代。モノも情報も溢れかえっているから、あれもこれもと欲しがったり、手を出していると、あっという間にパンクして、自分を失ってしまう。つまり、ジブン自身が空洞化してしまうんだ。
不要な情報やモノは「ノイズ」だと捉え、捨てることを意識して生活していないと、気づかないうちに異常な量の荷物を背負ってしまう。
あとは、とにかく自分の「心の真ん中」にちゃんとアクセスし続けること。
欲しいと思っていることや、大事にしていることが、「本当に自分の心の底から望んでいるものなのか?」「メディアや広告、周りの目や流行などに洗脳されたニセの欲望ではないか?」と、ちゃんと心に問うて、真偽を疑う習慣を身に付けることが大切だ。
レコード会社時代こんなことがあった。
ソニー・ミュージック時代の実績が認められ、ワーナー・ミュージックにヘッドハンティングされた時、最初は僕より年上ばかりのプロデューサーが30人ほどいる部署の「部長」という管理職で入った。
だけど、僕はいわゆる「偉い人」になりたいわけじゃなかったんだ。
そもそも、人のマネジメントが得意じゃなかったし、管理職としてはぜんぜんダメだった。そしてなにより、現場で、大好きなアーティストの隣で仕事をしたかったから、降格を申し出たんだ。
不祥事を起こしたわけじゃないのに、降格なんて出来ないって、最初は会社から拒絶され。「前代未聞の申し出だ」と、ちょっとした騒動になった(笑)。
でも無事に降格が認められ(笑)、現場でのプロデュースに復帰できることになって、最初に出会ったのが絢香。そして次に、Superflyに出会った。つまり、降格を申し出たことが結果として、僕の人生のアップグレードにつながったんだ。
彼女たちとの仕事は忘れがたい思い出であり、ぼくにとってはすべてのワークが宝物のような作品。魂が震えるような体験とインプットをもたらしてくれた彼女たちには、心から感謝している。
「社会的に見てどうか」とか「他人にどう思われるか?」みたいな、周りの評価を基準とする生き方ではなく、「自分にとってどう?」「心は何と叫んでいる?」「人生で何を求める?」といった、自分の〝本来の在り方〟を判断基準にすえる生き方を選んで欲しい。
そうすることで、不要な荷物を背負わずに済むし、ノイズに負けない人生をデザインすることができると信じている。
よく勘違いされるけど、僕は「ノマド」になりたかったわけじゃない(笑)。単純に、ニュージーランドに住みたかっただけなんだ。
ニュージーランドに移住して、幼少から大好きだった「湖」の畔で自給自足の暮らしをしようって決めた学生時代、航空券の値段はいまの5〜10倍で、インターネットもなかったから、「移住=日本を捨てること」だと覚悟し、親の死に目くらいしか帰国できないと考えていた。
毎日釣りをして畑を耕す、「ヒッピーか世捨て人になる」って本気で決めていた。 ニュージーランドで〝森の生活〟がしたいと話しても、ほとんどが「そんなの無理だ」「バカじゃないの?」っていう反応。そんな時代だったんだ。
でも、その後15年間のテクノロジーの急速な進化は見ての通り。
ローコストキャリアという格安航空会社が台頭し、世界中にブロードバンドが敷かれ、2007年にiPhoneが登場するなど、国と国を移動しながら働ける環境が整ってきたのに、僕自身の「無理」という思い込みは、捨てることができなかった。
2008年に、ハワイと日本を行き来しながら、バリバリ仕事をしている本田直之さんに出会ったことで僕の人生に革命が起きた。
初めてお会いした時、「そんな凄いスキルと強みがあるのに、世捨て人なんてもったいない、両方の国を行き来しながら仕事をしなよ。絶対できるから」って言ってもらえて、具体的な相談にも乗ってくれた。
それがきっかけで、僕自身の思い込みを捨てられて、思考を入れ替えることができたんだ。
僕の会社って、「Lake Edge Nomad Inc.(レイクエッジノマド)」っていうんだけど、社名をつけた移住直前の2009年当時は、誰も「ノマド」なんて言葉は使ってなかった。
メディアに出る時のプロフィールに、「ニュージーランドと日本を行き来するノマドライフを送る」という一文を入れていたんだけど、必ず「※ノマドライフ=遊牧民のような暮らし」と注釈が入れられてた(笑)。
2011年に、本田直之さんが『ノマドライフ』という本を出版されてから、やっと認知されて、注釈が不要になった。
繰り返すけど、僕はもともと「ノマド」を目指していたわけではない。
移住の2年前に本田直之さんに出会ったことがきっかけで、「移動しながら仕事できるかも」というマインドがセットされただけなんだ。
「毎日釣りがしたい」「湖の畔という〝釣り場〟に暮らしたい」「ナチュラルライフを送りたい」「そんな環境がそろっているニュージーランドに移住したい」といった、根源的な夢を実現するために前進を続けていたら、テクノロジーの恩恵を受けて、たまたまいま、ノマドライフを送っているだけなんだ。
「ノマド」っていう言葉が流行って、一時期「ノマドになりたい」っていう人が増えたみたいだけど、何度も言っているように、もっとも大切なのは「自分は何をしたい?」「どういう状態が幸せ?」といった、自分の内なる声が「本当に望む在り方」を実現すること。
それを形にするための「手段」は、起業でも、就職でも、ノマドでも何でもいい。バイトだっていい。
職業や会社はあくまで「乗り物」、それに乗って向かうべき「目的地」をまず持って欲しいんだ。
僕のトークライブでは、ニュージーランドでの暮らしがわかるキレイな写真をたくさんスライドに入れるんだけど、それだけを見て「こういうところで暮らしてみたい」っていう反応する人はすごく多い。
空も湖面もすべて真っ赤になった朝焼け、庭で自生しているハーブ、釣りをしている姿、自作のオーガニック・フルーツジュースなどの写真とか、いい部分だけを見ると確かにそう感じるかもしれない。
だけど、ニュージーランドの電力は79%が再生可能エネルギー(もちろん原発はない)ということもあり、停電が多いんだ。
すごい田舎の、さらに森の中の湖畔に暮らしているから、当然ケータイは圏外、水道は通っていなくて、コンビニなんてないし、スーパーまでは車で30分ほどかかる。
風が強い日には木や枝で、大雨の時は土砂で道が塞がってしまうなど、不便もいっぱいある。
だけど、ベランダには毎晩フクロウがやってくるし、星空は眩しいくらいに美しい。
湖から汲み上げた純度100%のミネラルウォーターを飲み、自分で釣った新鮮な魚と、自生しているハーブや果物、自分で育てた無農薬野菜を食べる。
つまり、不便を含めてこれが、僕にとっては最高のライフスタイル。
もちろん大変なことはいっぱいあるけど、大量消費ありきの貨幣精度、過度に便利な文明から距離をおいて、自然とともに暮らすという行為は、ノイズに邪魔されずに自分らしく生きるということでもあるんだ。
究極的に言うと、組織や国、巨大な資本主義システムに対して、なるべくインディペンデントでいたいと思っている。
だから、〝地球で生きる人間〟として「何が正しくて、何が間違っているのか?」より鮮明に見えるようになってきたし、ノイズレスな環境のおかげで、集中力が研ぎ澄まされ、自分の心の声をより拾えるようになった。
その結果、レコード会社プロデューサー時代よりも、自分自身のクリエイティビティが格段と高まった。これが一番の喜びなんだ。
ノマドにもいろいろあるよね。
オフィスを持たず街のカフェからカフェへ移動をする、いわゆる「ノマドワーカー」から、国内で都市部と田舎を移動するスタイルの人もいれば、高城剛さんや本田直之さん、そして僕みたいな「グローバルノマド」と言われる、複数の国を行き来するタイプもいる。
どうすれば「グローバルノマド」になれるのか、とよく相談される。また同じようなことを言うけれど、当然、一番最初にすべきことは「好きな国を見つけること」。
ノマドは「目的」じゃなくて、あくまで「手段」。
本田直之さんも同じくノマドを目指していたわけではなく、恋い焦がれるほどハワイが大好きで、いつかハワイに住みたいという強い想いを持つことから始めただけなんだ。そして15年もかけて、ハワイへの移住を果たし、徐々に日本を行き来する、いまのノマドライフを実現された。
繰り返しになるけど、もしあなたがグローバルノマドになりたいと思っているなら、まず心から好きな国を見つけること。そして、その国で暮らすことを想い続け、追い続けること。これから始めて欲しい。
人は生まれながらアーティストであり表現者。
生きるということ自体が表現活動であり、この世に生を受けた人なら、誰もが呼吸をするように、人生という作品創りをしている。
起業にせよ、会社に入るにせよ、仕事も当然、大切な表現活動。
「ちょっと待って、みんなが表現者!?ありえない」と思ったthe Entrepreneur読者のあなたも、一度その「縛り」を横に置き、少しだけ勇気を持って〝ジブン自身〟を解放してみるんだ。
まずは1日だけでいいから。
「自分にも四角さんが言うようなアーティスト性や、オリジナルな才能が眠っているかもしれない」と信じて、目の前のことに集中してみること。
そうやってもし、あなただけのアーティスト性が見つけられたら、僕にそれを見せて欲しい。