経営者はよそ見をせず、経営に身をささげるべき
カレーハウスCoCo壱番屋 / 宗次徳二
趣味が仕事でしたので、引退するまでずっと続けていました。数字で出したことはありませんが感覚的には1日平均したら、4,5店ほどは回っていました。い つでも店舗を回れるように常に制服で出張があれば1泊2日にして、その地域の全店を回っていました。私の独断と偏見ですが、食堂業の創業経営者が背広を着 ていると、たいしたことない人だと思ってしまいます。
いません。私は社会に還元していくことは当たり前だと思いますが、今の経営者には少ないように思います。ですから周りには尊敬できる経営者はいません。発言と行動が一致している経営者は私の周りでは私くらいで…半分冗談ですから。(笑)
今があるのは9割5分ぐらい妻のおかげです。影響というより、お互いに無いものを補完し合って過ごしてきました。私は現場主義の中から色々なアイディアや 知恵を出し、妻はそれをスムーズに実行できるようにしてくれました。例えば、資金調達の部分で155億円までただの一度も断られたことなく借りつけてくれ ていました。他にも色々な意味で支え合ってきました。
1番難しいです。人に関わるものが1番難しい。私の場合は、率先垂範、お客様の期待に応えるという大前提の下、社員にも役員にも厳しかったです。重箱の隅 を突くぞという感じでした。その代わり、自分に対しては誰に対するよりも厳しかった。だから去って行った人も多くいましたが、問題が起きて辞めたという人 は皆無に近かったです。他社の役員では株式を公開すると持ち株を得て2億、3億の資金が調達できるので、会社を辞めて独立する役員も多くいますが、自社の 役員には一人もいませんでした。これは本当に異例だと思います。私は才能も能力もない三流経営者ですが、自分の発言と行動は常に一致させてきた自信があり ます。だからこそ、会社と仲間、との信頼関係が築かれていたのだと思います。
引退したのは53歳でCoCo壱番屋が800店舗まで広がっている時でした。その前年に、今の社長に社長をやりたかったらいつでも言ってくれと伝えてありました。その半年後には社長をやりたいと言われたので、私は会長職を譲り引退し、妻が社長職を譲り会長となりました。
全くありませんでした。素晴らしい後継者でしたので全てを託しましたから。役員としても残ることをせず引退しました。これも例がなく、日本一の事業承継の 成功例だと思います。今でも、社長と食事に行きますし、用事があれば会社にも行きますが全く経営の話はしません。新聞で会社(壱番屋)のことは知るから話 さなくていいと言ってあります。
まさに会社は社長の器以上に大きくなります。そういうモノなのです。それには真面目にやり続けることが前提にありますが。私なんて素人経営者ですから、ど うしても自分の器以上にはなります。ある意味ここまで成長してきたのは奇跡です。M&Aを活発にしていくやり方なら出てきそうですが、1店舗ずつ築き上げ ていくスタイルで1000店舗以上までいくのは飲食の世界では今後出てこないと思います。
一切お世話にはなりませんでした。人の話を聞くことは嫌いです。(笑)専門家の話は自然と入ってくることはありますが、コンサルタントの先生にお金を払っ て教えて貰うということはありませんでした。ある人の紹介で経営者の団体に会費を払って入っていたことはありましたが、経営を学ぶ為に入ったのではありま せん。1年間所属して、義理だけを果して辞めました。だから基本的にはありません。実行して失敗してもそこから学ぶことはたくさんありますから。大体は良 識の範囲内で、滅茶苦茶にやるわけではないですから。とにかく自己流で行きたいのです。
そうです、経営は簡単です。行き当たりばったりで、すぐやるべきです。その代わり、最初の気持ちをずっと持ち続けないといけません。皆さん、最初に力を入 れて軌道に乗るまでは必死に頑張るのですが、軌道に乗ったとたんホッとしてしまうのです。それさえしなければ絶対にコツコツと積み上げていけるはずなので すが。私は確信をもって言えます。皆さんかっこいいこといいますけど、一言でいえば、経営は行き当たりばったりが1番です。但し、どこまでも現場第一主義 で経営に自らを捧げ続けることが条件です。
何度も言うように、いつも目標を持ち続け、よそ見をせずに経営に身をささげるという事です。最初は苦労する、その中でお客様に感謝の気持ちを持ち続けるこ とです。これは鉄則です。これがないと、例え最初から色々な人の手を借りて事業が軌道に乗ったとしても、続きません。その姿勢、考え方が大切なのです。た とえ勢いがなくても苦労してコツコツと積み上げていくことが肝心なのです。