経営者はよそ見をせず、経営に身をささげるべき
カレーハウスCoCo壱番屋 / 宗次徳二
国内最大手のカレーチェーン「カ レーハウスCoCo壱番屋」を展開する壱番屋。創業者の宗次徳二氏は2002年に引退するまで同社を20年連続の増収増益に導いてきました。宗次氏の引退 後も壱番屋の快進撃は続き、国内外で1200店舗を突破。2005年には東証一部上場を果たします。
今回は宗次氏に20年連続で増収増益を実現した秘訣、経営者のあるべき姿、事業継承の在り方などについてお伺いしてきました!
18歳で不動産取引の会社に就職して、そこで三年間不動産仲介業務を中心にノウハウを覚え、21歳で大和ハウスに転職しました。そこでは営業をしながら建 築の勉強をできたらいいなと考えていました。結婚をして、先輩たちが開業していた流れにも乗って24歳になった時に不動産業で独立しました。それはそれで 自分自身は満足していましたが、不安定な収入だったこともあり、妻が「バッカス」という喫茶店をオープンしたことで、私の人生は、ガラリと変わったので す。
先輩たちが独立していましたから、自分がやってきた仕事を延長させただけだと思っていたので、特に心配はありませんでした。リスクも特に気にすることなく、最初は自宅の8畳の部屋を事務所にして始め、開業資金もたいしてかからず、気楽に考えた中での起業でした。
最初、飲食業の方は妻がするものと考えていてさほど興味がなかったのですが、オープン初日(昭和49年10月1日)に手伝いにいったら、ものの10分でこれぞ天職と思うぐらい衝撃を受けました。その日の内に不動産業がどうでもよくなってしまい廃業しようと思ったのです。
飲食業に専念し始め、お客様に来て頂けることが嬉しかったのですが、とにかく営業時間が長く、立ちっぱなしの仕事でした。毎晩、疲れ果てて帰宅し、夫婦 共々もう湯船が沸くまで待っていられない状態で、風呂の中で寝てしまう事は珍しくありませんでした。当時のお風呂は釜に火をつけて沸かしたのですが、お風 呂の水が沸騰するまで気がつかずに寝込んでしまい、ボコボコと沸騰した音で目が覚める、なんてこともありました。なぜこんな大変な商売してしまったのだろ うと思うのですが、翌日になると、また元気出して頑張ろうと思う、その繰り返しでした。
バッカス創業の丁度1年後に2号店の喫茶店「浮野亭」をオープンさせ、その後1年間ぐらいは大変な思いをしました。2店とも自転車操業で、「バッカス」で 500万円、「浮野亭」で1400万円ぐらいの借金がありました。「浮野亭」は開店当初、あまりお客様に来て頂けなくて、1日数千円から1万数千円の売り 上げでやりくりしていました。私たち夫婦の昼ごはんは、きまって毎日パンのミミを食べていました。
生クリームをたっぷり浮かしたウィンナーコーヒーが活路でしたね。名古屋で1番と銘打って出した自信作で、口コミでどんどん広まっていき、遠くから来て下さるお客様もいました。
カレーは「バッカス」オープンから1年半後、1974年です。当初散々苦労した2店舗の喫茶店もやがて超繁盛店になり、参考にしたいと色々な方が見学に やって来て、売上もこれ以上伸びないほどお客様にも来ていただけるようになっていました。常に3号店は考えていましたが、とりあえず直ぐに売上を伸ばすた めに出前用のメニューを考えていた時、カレーを思いつきました。缶詰やレトルトなど色々試食しましたが、新婚時に妻が作ってくれたカレーが美味しかったの で、それを商品にしようと考えました。そのカレーにスパイス等の工夫を少し付け加えて商品として出しました。余りにも評判だったので3号店はカレー屋にし ようと決めました。東京のカレー店に見学をしに行きましたが、自分たちのカレーが1番おいしいと私は感じたので店名もカレーならここが1番や!→ 「CoCo壱番屋」にしようと帰りの新幹線の車中で決めました。
しかし、当初はカレーだけではすぐ飽きられるだろうと考え、カレーと牛丼の店にしようと、店名もC&G(カレー&牛丼)で行こうと思っていたのです。結 局、東京に行って初めて牛丼を食べてみて、イメージに合わないと思いカレーのみにしたのです。その後、名古屋郊外の西枇杷島にカレーハウスCoCo壱番屋 1号店をオープンさせました。