挑戦しなければ始まらない
株式会社ロッテンマイヤー / 佐藤薫
短期大学に通い、専攻は服飾デザイン科でした。ごく普通の学生で、決して目立った方ではなかったです。
皆無でしたね(笑)。ただ、父や母を見ていて、好きなものを仕事にするのが当たり前だと思っていました。ですので、仕事に関しては自分が好きなことを基準に選んできました。
短期大学卒業後、ニットメーカーに勤め、企画、デザインをしていました。初めは、中々うまくいかないことばかりで、徹夜は当たり前でした。でも自分が好きなことだったので、とにかく目の前のことをがむしゃらにやりました。そしてその努力が認めてもらえた時、心の底から「働くって面白い!」という思いがこみ上げてきました。
そうですね。でも私は会社の規模や報酬など一切気にしなかったですし、好きなことを基準に仕事を選びましたから。普通なら辛いと思うことも、楽しみながらできました。
周りは安定志向型が多かったと思います。だからといって私が特別だったわけではないです。両親の影響で好きなことを仕事にするのが当たり前だと思っていただけです。だから好きなことを見つける度に仕事が変わったので、色んな仕事をしましたよ。
次にした仕事はネイリストです。きっかけはある時、ネイリストの友達が私の爪に絵を書いてくれて、それがとても嬉しくてたまらなかったのです。そして衝動的に「私もこれがしたい!」と思ったんです。即座に仕事を辞め、ネイルの専門学校に通いました。当時は、まだ検定もなかったので卒業してすぐにネイリストになることができました。
私はやりたいことを見つけてしまうと、それしか見えなくなる性格なのです。(笑)昔から好奇心だけは旺盛でしたから。 そしてその後に、場所を借りて個人でネイルをやるようになったのですが、お客さんは週末に集中していて、平日がとても暇でした。そこで平日何かできないかなと思っていた矢先に、ある方との出会いがありました。
その方は、モデル事務所のマネージャーさんでした。そこで初めてモデルのマネージャーというお仕事があるのだと知り、話しを聞いているうちに直感で「楽しそう!」と思いました。
すぐにモデル事務所に電話をし、話をしていく中で私の積極性が認められて、ある事務所で働かせてもらえることなりました。
それは直感です。「楽しそう!面白そう!」それだけです。
そして、自分がマネージャーとしてモデルを連れてオーディションにいっている姿が、イメージできました。
ですが、何も経験も知識もないまま飛び込んだので、最初は電話1本とることすら怯えていました。(笑)
そして、半年ぐらい経ったときに、事務所所属の有名女優の専属マネージャーが産休に入るということになりました。そこで、なぜか入社半年の私にやらないか?という思いもよらないチャンスが来ました。正直不安でいっぱいでしたが、引き受けることになり、上京しました。当時は想像を絶する忙しさでした。朝も夜も関係ないお仕事だったので本当に体力的にはきつかったです。でも色んな方との出会いがあるし、いろんな場所に行けたので、とても刺激的でした。
それは「自分がゼロから育てた子と一緒にこの世界を見たい」と思ったからです。
当時私は27歳だったのですが、旬の女優のマネージャーというだけでとてもチヤホヤされました。しかし、「自分の実力で売れたわけでもないのに」という思いがあり、私にとって非常に居心地が悪かったです。
そして、大阪に戻り自分で売り出したいモデルがいたのですが、事務所に認めてもらえませんでした。