考えは休みに似たり
ブレークスルーパートナーズ株式会社 / 赤羽雄二
今回取材させていただいたのは、ブレークスルーパートナーズ株式会社の赤羽雄二氏。
コマツにて建設機械の開発6年間勤務し、スタンフォード大留学を経て、マッキンゼーにて14年間、経営戦略立案、実行支援、新組織設計・導入などを多数リード。さらに、シリコンバレーのVCを経て、2002年に共同創業したブレークスルーパートナーズにて、日本発の世界的ベンチャーを育成すべく、共同創業、経営支援に取り組む。
「ベンチャーの活性化が、日本を変える最短かつ最も効果的な方法のひとつ」そう語る赤羽氏。その視線の先は日本がブレークスルー(=現状突破)する未来を見据えている。
(*ブレークスルーキャンプ=2011年夏に行われた学生エンジニアを中心とした多数のチームによる、2ヶ月間のサービス/アプリ開発キャンプ: http://www.btcamp.com/ )
そうですね。意識が高く、向上心のある学生が2ヶ月間非常にがんばってくれました。ウィークリーマンションに2ヶ月間泊まりこみで開発を行うのは非常にストレスがあったと思うのですが、大きな問題もなく、全チームがデモまでやり遂げたのはすごいことだと思います。みんな頑張りました。
今回のブレークスルーキャンプを通じて、ベンチャーという意味においては、日本の未来は明るいと感じましたね。
私は、学生のビジネスプランコンテストに深く関わってきました。だからこそ、アイデアだけで終わってしまうビジネスプランコンテストでは、ラチがあかないと心の奥でずっと感じていました。頑張って議論してプレゼンしても、「そのアプリ・サービスを実際に作ろう!」となると手を挙げる人がほとんどいないんです。世界では、リーンスタートアップの時代だというのに。そこで2ヶ月間に実際にアプリ・サービスを開発する、ブレークスルーキャンプを企画し、多くの方のご支援をいただいて、開催しました。
はい、facematchチームは、第3回SF Japan Night(http://www.sfjapannight.com/)に向けた日本での予選を見事突破し、11月3日にシリコンバレーで開催された決勝では、何となみいる社会人チームを押さえて優勝しました。米国人の受けもものすごくよかったです。米国のVCからも、早速資金調達に向けたお話をしていただいています。
プロ野球の野茂選手が大リーグに挑戦したときと近い現象が起きていると感じます。野茂が大リーグで活躍してから、大リーグに挑戦する日本人が増えました。しかし、その前後で日本人の野球のレベルが急激に上がったわけではありません。「大リーグに行っても、とても通用しないだろう。」という心情的な障壁があっただけだと思います。
今年、Wondershakeの鈴木さん( /entrepreneur/interview/vol0295.html )やmiepleの福本さんが大胆にシリコンバレーに飛び出して行きました。これからその勢いがかなり加速するでしょう。Facematchチームも数ヶ月以内にチームごとシリコンバレーに移住する決意を固めています。もちろん、これまでもシリコンバレーで起業している日本人は多くいましたが、年が離れていたり、ソーシャルメディアが発達する前だったので、コンタクトが容易には取れませんでした。もちろん、不可能ではありませんでしたが。FacebookやTwitterにより、気軽にコミュニケーションがとれるようになり、敷居が一気に下がりました。
もともとブレークスルーパートナーズを創業した想いが、そこにあるからです。マッキンゼーに14年間勤め、大企業の経営改革を中心に、数百のプロジェクトに取り組みました。特に、マッキンゼーソウルオフィスを立ち上げた10年間は、毎年50週、500週連続で毎週月曜日朝にソウルに行き、金曜日に帰国していましたが、そんなことをするのは世界でも私くらいでしょう。
そんな中で1997年暮れにアジア金融危機が起こったのですが、その後無数のベンチャーを生み出した韓国人の起業家精神の強さと、のんびりとした大企業指向の強い日本人の差を痛感しました。サムスンやLG.といった大企業も劇的に変わっていきました。
日本からトヨタ、ホンダ、パナソニック、シャープ、カシオといった新進気鋭のベンチャーが生まれたのはもう50年以上も昔のことです。最近、DeNA、グリー等が米国進出をし、また楽天が世界展開をもくろんでいますが、後に続く企業が数えるほどしかありません。
だからこそ、私は日本発の世界的ベンチャーを生み出したいと思い、ブレークスルーパートナーズを創業し、これまで活動を続けています。