地方起業家の生き残り戦略。それはシンプルに「人との繋がりを大切にすること」だった
株式会社ASO 代表取締役 宮井 智史
<経歴>
昭和55年2月3日生まれ
株式会社ASO 代表取締役
シニアインキュベーションマネージャー
長年、インキュベーションマネージャーとして起業創業支援に携わる。運営するシェアオフィスASOは、「人が集い、人が繋がる、本音で話せるワーキングスペース」がコンセプト。ASOは会員を始め、様々な業種の方が日々出入りしており、交流を深めることが出来る。「やりたいことをあきらめずにやれるサポート」を心がけており、相談者などには、本人が自分自身を見つめる事が出来るよう、マスではなく個でのサポートを行っている。年間の起業相談件数は約300件。近年、県内外でのアイデアソンのファシリテートや創業セミナー、講演に加え、起業に連動した移住促進のイベントなども開催している。
高校生の時はほんとに遊んでいました。上から8番目の順位で進学クラスに入学したんですが、卒業する頃にはもう下から数えたほうが早かったです(笑)というのも、中学校までは、特に勉強せずに高い点数が取れていたんですが、高校だとそうもいかず。勉強が好きではなかったので、ほんと勉強せずに、高校2年生の頃から将来画家になりたいと思うようになったんです。
小学生の時に絵画教室に行っていたんです。絵画教室で、賞を取ると親がとても喜んでくれていたのが嬉しいと思っていました。親が喜んでくれることで、自分が肯定されている感じがしたんですよね。
それに、中学生になると高校受験で塾に行ったり、勉強で友達と遊べなかったりして、押しつぶされてると感じていました。そう感じて受験して入学した高校のデザイン学科の同級生が自己表現をしていたり、自分自身のやりたいことをやっているんだなと羨ましく思い、憧れました。あと、画家はモテるんじゃないかとも思ったことも理由のひとつです(笑)
相談したんですが案の定「いい加減にしろよ」と怒られました。そのため、2年生はそのまま特進科に在籍。3年生になる前にあきらめきれず画家になりたいと思ったので、親に理解してもらい絵画教室に学校終わりに行くようになりました。
その後、初めての大学受験では第一志望校に落ち、浪人生活 を送るようになります。浪人生ってとても時間があるんですよね。予備校にも行っていたので、今年は余裕で合格すると思い、絵画教室も最初の方は真面目に通っていたのですが、周りの浪人生たちと遊ぶようになりました。
結果、デザイン学科などは落ちて、たまたま滑り止めで受けた写真学科に合格し、他に行くところもなく仕方なく入学しました。ですが、写真の勉強をしたくて入ったわけでもないので、大学でもほとんど勉強していませんでした。
既にかなり遊び癖がついてましたね。1年生の時は8単位取得、流石にこれはまずいと思い反省するかと思いきや、2年生の時は2単位でした(笑)2年終了時に早速留年が決定。それからは真面目に通っていたのですが、単位を取るためだけに行っていました。ただ単位を出席する行くだけ、勉強は全くしていなかったですね。
夜な夜な街に出ては遊んでました。友人が金色のラメの車とか乗ってて夜中の街を徘徊したり、遅くまで飲み歩いたりという生活を送っていました。そんな生活をしていたら、2単位しか取れないのは当たり前ですよね(笑)
自分がしたい生活を送っていたので、その癖は未だに残っているのかも。流石にもう夜中の街を徘徊したりはしませんが、仕事にしても、心が赴くままのものをしないと満たされる感じが全然しないんです。
特に人と会って話すのが好き。例えば、夜に飲みに行くのも、ほとんど仕事で関わっている人ですが、すごくフランクに話しながら飲みます。飲みの時に営業をしたいっていうのはあんまなくて、ただ単にそうやって人と交流することは楽しいって思うんです。一事業者としてはどうかと思いますけどね。(笑)