楽な方に逃げない
MIDNATION / 中里 誠
「素晴らしい才能やスキル、サービスを持っているのに、ITが苦手という理由で損をしている人がたくさんいると感じました。
そういう人が、少しでも苦手意識を解消して、もっとWEBを気軽に活用できる為のお手伝いができればいいなと思います。」
そう語るのはホームページ制作のMIDNATION、中里さんです。
中里さんはUSTREAMで講座を開くなど具体的な活動をもされています!
そんな中里さんの今後の展望に注目です!
ごくごく一般的な学生生活だったように思います。目立ちたがり屋で落ち着きのない子供ではありましたが、小学生の頃は運動・勉強も普通といった感じでした
。中学生になってから陸上部に所属し、中長距離の種目を選んでから少し状況が変わったように思います。
それまで運動はあまり得意ではなかったのですが、地道に努力をすると長距離種目は記録が伸びていきます。 その経験が、 「がんばったら成果が出るんだな」ということに気がついた瞬間だったのかも知れません。最終的に部活動では部長を務め、学年委員長を務めるなどリーダーシップをとることが多くなりました。
高校時代に入ってからは楽しめる部活がいいと考え、硬式テニス部に入りました。
相変わらず勉強はあまりしていませんでしたが、異性との交流や仲間付き合いなど人と接する事が多かったです。実践的な心理学と考えると、今の営業活動に生きているかもしれませんね(笑)。
建築というとデザインや設計をイメージしますが私は、エコロジーや自然科学に興味があり、環境破壊の大きな要因を建築業界が占めているという事実を知りました。
そのことから、あえて環境を破壊している業界に入って何か自分にできることがあるのではないかと考え、建築学科に決めました。それ以外にデザインすることも好きでしたので、そこも決め手のひとつとなっています。
はい。大学生活では要領のよさを身につけたように思います。神奈川県の実家から千葉県まで通学していたので、往復3時間近くかかっていました。
授業が少ない日はなるべく通学しなくても単位を取る方法はないかと模索して「代返」などでサポートしてくれる友人関係を構築したりと、そんな事ばかり考えていました(笑)。私は留年しなかった中で、一番学校に行っていなかったかもしれません。
みなさんには決して模範にならない学生生活だったと思いますね。
『ギラン・バレー症候群』を患ったこともあり、最初は医者になりたくて必死に勉強をしていました。成績も上位をキープしていたのですが、当時の彼女と別れた事が響き、成績が急降下してしまったのです。別れた理由なのですが、国籍の事で彼女の両親から「別れなさい」と言われたのです。私としては、ようやく癒え始めていた傷口に、塩を塗られたような心情でした。この出来事が切っ掛けで全く勉強に手がつかなくなってしまいました。
その後、美術部の経験もあった事から、芸大に進むことにしました。大学時代は課題制作などに追われていましたが、とても楽しかったですね。デザイングループを結成したり、恋に落ちたり・・・。ちなみに、そこで今の奥さんに出会いました。
住宅リフォーム会社に就職しました。当時は、住宅リフォームへの認知がさほど高くありませんでしたが、リフォームを通した住宅の再生利用は環境保全に貢献できると考えて選びました。当時は就職氷河期真っ只中でしたが、工学系の学科は就職率が悪くなかったので、そこまで苦労はしなかったように思います。
就職先が研修の充実した会社であったので、半年間にわたって社会人としての常識やマナー、仕事に関する知識をみっちりと教わりました。このころようやく、勉強する楽しみを覚えました。
学校と違い、学んだことが直接仕事に役立つ感覚が知識を得るモチベーションにつながったんだと思います。研修が終わり営業所に配属され、営業や設計や提案など全てを経験させていただきました。ポスティングを始め、飛び込み営業も行い営業のいろはを学ばせていただきました。
色々と勉強をしていくと欲がでてきて、会社のレールではなく、もっと自分の可能性を試したい気持ちが一番のきっかけだったと思います。
当初、もう一つのあこがれだったインテリアデザインの仕事をしたいと思いインテリア業界での仕事につく準備をしようと決心しました。 しかし当時はインテリア業界での仕事は人気があり狭き門となっていました。
通常はインテリアコーディネーターの資格を取ったり学校に通ったりしてアプローチするかと思います。みんなと同じことをしても難しいと判断して自分は違うアプローチをしました。
職業訓練校の家具職人育成コースに入校し、1年間実際に家具の作り方を学び差別化できる知識を身につけた結果、希望していたインテリア業界に就くことができました。