瞬間を生きる
学発信団獨協大体「D」代表学生団体birth副代表 / 金田 隼人
埼玉県の深谷市で生まれ育ちました。中学校からは群馬県の新島学園という中高一貫校に入学しました。ビジネスバンクインターン3期の大手と一緒の所ですね。中学の頃は鬼監督の元でバリバリのサッカー生活でした。
高校2年生の終盤にOB講座というものに参加し、そこで知り合った旅行会社の方に非常に感銘を受けたんですよ。その方から「これからは大学や社会に頼る時代ではなくなる。」という話を受けて、僕も変わらなくてはと思い必死に勉強を始めました。
選択肢として同志社大学か獨協大学を挙げていました。でも先程話したOB講座で出会った方に感銘を受けた事もあって高校3年生の夏休みは全く勉強せずに、 先生に紹介してもらって色々な社会人とお会いしたんです。例えば病院の院長とか、会社の社長とか、サラリーマンとか、本当にたくさんの社会人にお会いしま した。その経験を経て、単純に「自立している人は格好いい」と思うようになったんです。将来は僕もビジネスというフィールドで自立したいと考えて、経営学 科に入ろうと決めました。そして関東の方が時代の流れを掴み易いと思い獨協大学に決めたんです。
入学して半年間は遊びまくっていました。サークルにも入らず、友人達と東京に出ては毎晩遊んでいました。ただ9月の終わり頃に、獨協のOBでもある「す ごい起業塾」の八木さんにたまたまお会いする機会があり、学内でお話したんです。「独立している人が集まるし、色んな人と出会えるよ。」という言葉にすご く惹かれて、八木さんの勧める体験セミナーに参加しました。高3の社会人に会いまくった記憶が蘇ったのでしょうね。
前代表の土岐という人間が、経済学部のゼミの代表や学外活動をしている人間を集めて決起会のようなものを開いたんですよ。その顔合わせのパーティーに参加した事がきっかけですね。
最初は、閉鎖的な獨協大学の、雰囲気の改善する事が趣旨でした。現役生に対する選択肢や情報の少なさによってそういった雰囲気ができてしまい、学外に目を向ける学生が非常に少なかったですからね。
設立後は、認知度を高めなければならないので、とにかく足を使って交流会やセミナーに参加して「D」の為に奔走していました。主として社会人、他大生、 獨協生を集めた交流会を年に10回ほど開催しました。セミナーや企業の人事の方を招いたマッチングのイベントも開いています。
2年生の前期終了までですね。夏休み頃、「すごい起業塾」のカリキュラムも修了したので、ちょうど新田さんが行っているような経営者へのインタビューを 行っているインターンシップに参加する事を決めました。「すごい起業塾」のカリキュラム修了後のフォローとして紹介されたインターンシップでしたが、普段 会えない方にお会いして話をできる事には魅力を感じていました。そのインターンシップ終了後は再び「D」の活動に戻ったのですが、11月にまた別のイン ターンシップに参加したんです。
セミナーや交流会を頻繁に行っている日本リーディング総合法務事務所というベンチャー企業の経営相談等をヒアリングするところでした。僕は企画 運営局に入り、11月から2月までお仕事をさせて頂きました。そのイベントに来る方は経営者ばかりで、凄く刺激的だったのですが、基本的には相手にされま せんでした。悔しかったですね。 そして実はそのインターンで事件がありまして(笑)。