新たな発想で ファッションに革命を
株式会社ノーブル・エイペックス / 大関綾
2006年11月 中学3年生、事業家を目指し中小企業経営者の方々に交じりビジネスオーディションへ応募する。 入賞後、更に本大会へと進み月刊アントレ賞と来場者賞を受賞する。14歳8カ月という最年少記録も樹立する。
2007年04月 入学後、厳しい校則の壁が立ちはだかる。学校と交渉を繰り返すが在学中の起業は認められないという判断が下る。
2007年11月 東京都教育委員会に問い合わせ、起業が許される都立高校への再受験を決意し希望退学する。
2008年04月 入学後、2010年春の起業を目指してニュービジネスの研究に入る。 テーマを『社会の資本力にも組織力にも負けず、デフレーションにも影響を受けない独創的なビジネスの発見』と、定めた。
2009年10月 Nobletieの試作品が完成。ビジネス基本構想が纏まる。
2010年01月 家族親戚と共にノーブル・エイペックス社を設立。代表取締役社長に就任。(高校2年17歳)
きっかけは私が中学二年生のときに始まったクールビズでした。ノーネクタイ姿のビジネスマンに「酔っぱらったおじさん」というだらしない印象を覚えたのです。 それなら着けていても涼しく、且つ、正装感とおしゃれを感じられるネクタイを開発してみようと思いました。ネクタイなら開発費もそれほどかからないし、私たちのような小さな企業が生き残るのに必要な知財が取れるということも理由の一つでした。ネクタイは年間3000万本売れています。十分に市場はあると思いました。
私の両親は小学生のころ離婚して、母が女手ひとつで私と妹を育て上げました。母は、朝早くから夜遅くまで・・・私たちを養うためにほとんど毎日仕事をしていました。そんな母の姿を見て、将来は私が頑張って母に楽をさせてあげたいと思うようになったのです。 最初は、母に楽をさせてあげるために社長になるという漠然とした目標しか考えていなかった私でしたが、実業家の叔父の影響を受け、好きな仕事をして、自由に生きていけるという経営者の魅力に段々と憧れを持つようになりました。 中学生のころは本気で実業家になりたいと思い、神奈川ビジネスオーディションにも出場しました。そこで最年少記録を樹立し、来場者賞とアントレ賞の二冠を頂くことができたのです。自分にも何かできるという自信を持つことができました。
当時の私は自分のように起業に興味のある若者を集めてNPО団体を結成するということを考えていました。企業は若者たちの枠に囚われない斬新な発想を得ることができ、若者たちはその企業から人脈を得ることができるというようなビジネスです。 私は昔から活発に動き回るような性格ではありませんでした。行動力がついたのは実業家になることを本格的に考え始めたときからです。 それまではどちらかというと大人しい子供でした。時間があれば読書をしていたり、パソコンをいじるのが好きだったり・・・。 部活は吹奏楽をしていて、フルートやピッコロ、サックスを吹いていました。
私は17歳で起業しました。実は高校は再受験しています。一度市立高校に入学したのですが、そこの高校は校則がとても厳しく「勉強第一」という方針だったため、当たり前のように起業は認められませんでした。親に負担をかけないために特待生で入学していたので、他の生徒よりもっと厳しかったのです。高校卒業まで会社は起こせないとなると、なるべく若いうちに企業したかった私には、市立高校を退学し都立高校を受験し直す以外に道はありませんでした。もちろん都立高校だったら起業は認められるのか、という問い合わせは事前にしました。そして、翌年の3月に再受験し、都立の高校に入学しました。