新・棚からぼた餅の法則
有限会社ドラマティックステージ / 平野 秀典
今回は日本で唯一の感動プロデューサーとして、規模や業種を超えた様々な企業へ 講演・指導を行う平野秀典様にインタビューをさせていただきました。 今や受講体験者は累計で20万人を超え、100万人に感動力の世界を伝えるという目標を掲げ、活動していらっしゃいます。 そんな平野様から今回特別に学生へ向けて人生の考え方や・自分との向き合い方について貴重なお話を沢山いただきました。
小さなころは絵をかくのがとても好きで、小学校の時は自分でストーリーを考えて漫画を描いてました。中学では美術部に入り、水彩画をよく書いていました。絵の入選とかはよくしていましたね。だから将来は、絵で食べていきたいと漠然と考えていました。まぁ中学時代「絵では食べていけないよ」って親に言われるまででしたが・・・。
そうですね。高校では体育会系にシフトチェンジして、陸上競技部に入りました。種目はハードル・短距離でした。私は身長がなかったので、速さよりも見た目の美しさで勝負をしていましたが(笑)
実は私、中学入学当初に‘巨人の星‘に憧れて野球部に入ったんですよ。でもそこではレギュラーになれないとわかったのですぐに辞めました。そこで絵が好きだったので美術部に入りました。陸上部は全員何かしら種目があるので皆レギュラーになれます。私の中でレギュラーになることは重要だったんです。
高校では美術系→体育会系になり、陸上と勉強の日々!という感じでした。
今度は体育会系×美術系÷2みたいなところにシフトチェンジをしました。
マジック研究会というサークルに入ったんです。4年間続けてテーブルマジックとステージマジックを学びました。ステージマジックは、言葉を使わず音楽にあわせてマジックをします。マジックをする中でステージングというとても大切なことを体で学びました。マジックって体の角度や見せ方がとても大切なんです。
そうですね。気づいていただけましたか?私の人生を振り返ると、一見バラバラに見えることが後で全て繋がっているんです。絵・漫画・陸上・マジック、全てが次のステージで表現するために活かされているということです。一つ一つの点が一本の線で繋がっていたんです。
私は世間一般的にありがちな、やりたいことがなかなかできない会社に就職してしまいました。営業をしたくて入ったのに初めの何年かは倉庫担当だったり(笑)何も学ぶものはありませんでしたね。毎日会社が終わったら朝方まで遊んでいました。
本格的に演劇をやることになる前にも、私はずっと演じるということをずっとやってきたようです。絵も漫画も陸上もマジックも、自分を表現する活動ですから。
演劇の世界に入るきっかけは、つかこうへいさんの舞台でした。芝居には特に興味がありませんでしたが、友人に誘われて行った舞台をみたら、体に電流が走りましたね。今でいう天職との出会いの瞬間でした。