トライ&エラーで自分が形成される
株式会社アトコレCEO / 成田修造
今回取材させていただいたのは、株式会社アトコレの成田修造氏です。 「アトコレ」というサービスを耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか?昨年α版をリリースして、注目度急上昇中のアート作品の解説まとめサイトです。これを運営しているのが成田氏が代表を務める株式会社アトコレです。アトコレは今年の9月に設立されたばかりのシードベンチャー。投資ファンドからの出資も決まり、サービスだけではなく、会社としての注目度も高まっています。
代表の成田氏は、慶應大学に籍を置き、メンバーも全員学生。しかし「アトコレは学生としてでなく、一起業家として勝負しています」そう答える成田氏からは、会社に懸ける熱い想いを感じました。
ありがとうございます。ただ、僕たちはまだ「何かを成し遂げた」わけではなく、スタートに立っただけです。だからこそ、もっと今以上に頑張らないといけません。お世話になってる方に恩返しをしたいという想いもありますし、社会に大きなインパクトも与えていきたいですね。
アイデアはともかく、起業自体は、大学2〜3年時に考え始めました。僕は実は起業する前は、2年弱、パテントビューロという、知的財産のセマンティック検索エンジンを開発するベンチャーに勤務していたのですが、その勤務中に考えた、という感じです。
いえ、ちがいます。はじめはインターンでしたが、数ヶ月やる中で、「もっとコミットしてやらないと意味がないな」と感じ始めました。パテントビューロはベンチャーで社員も15名程度だったので、良くも悪くも未整備な部分が多くあったんですが、その状況に対して、自分なりに何かできないか、もっといい方向に会社をもっていけないかと強く感じました。もちろん、その未整備な部分を看過して別会社の就職を考えるなど、色んな選択肢があったと思いますが、自分は一度やったらある一定度までやらないと気が済まないタイプなので、現状以上にコミットすることで、ポジティブな結果をもたらそうとしました。
本当にフルコミットでがっつりやりました。幸い大学も留年してしまったので(笑)、朝9時半頃から夜中の1時2時までひたすら働き、短期間で色んなスキルを学ばせてもらいました。その間にたくさんの迷惑をかけたとも思いますが、結果的にはある程度納得感のある成果を残せたとも思いますし、本当にいい経験をさせていただいたなと、パテントビューロの皆さんには今も感謝しています。
きっかけは大学入学直後に入った学生団体です。日中韓の学生を対象とした、英語を用いた国際ビジネスコンテストの企画運営を行う団体で、多くの企業から協賛をいただき、1000万以上使ってコンテストをやっていたのですが、この頃から、GE社長(現リクシル社長)の藤森義明さんやブレークスルーパートナーズの赤羽雄二さんを始め、たくさんの人にご支援をいただき、ビジネスに対する興味関心がかなり醸成されてたんですね。なんとなく「将来は起業してグローバル企業を自分で作ってみたい」と思うようにもなっていました。
ただ、学生団体で活動してみて、どんなに大人びたことをやろうにも、やはり学生がやることにはどこか限界があるとも感じました。人並み以上に社会人と接しようとも、結局一緒にいる人の多くが学生で、自分の既存の枠組みや価値観を一気にジャンプするきっかけは掴みにくい。結果に責任が伴いにくく、厳しさも弱い。
でも実際にビジネスをやってみて、今の自分を超える人達にもまれれば、もっと次のステージが見れるかもしれない。自分の想像を超えるスピードで成長することができるかもしれない。そんな風に思って、ベンチャー企業で一旦働いてみようかなと思ったんです。起業はその後でも遅くはない。まずは肌で成長企業の空気を感じてみよう。そんな感じで、色々インターン先の企業を探している内に、パテントビューロになんとなくビビっときました。
コーポレイトサイトがなんか不気味で(笑)。知的財産ってなんぞ?みたいな感じでしたが、そんな意味不明感もまた面白そうだなということで、思い切ってメールしてみました。当時インターン募集をしてなかったんですが、まあなんとかなるかなと(笑)。そうしたら思いの外早くメールが返ってきて、面接をしてもらうことになり、1週間でスピード採用してもらえました。学生団体の活動が一区切りして、2009年9月3日に団体を辞めたのですが、翌日の9月4日から働き始めました。
生まれつき、これと決めたら夢中で頑張るタチで、高校時代は、部活はバスケ部で、鬼監督に顔面殴られながら週6日打ち込んでいましたし(笑)、それと並行して哲学や芸術、音楽にも興味がありましたから、当時は映画を年間100本以上鑑賞し、本も200冊以上読み、音楽も色んな分野のCDを借り、MDに移して聴きまくってました。親が働いてバタバタだったので、夜ご飯も自分で作ってました。なので、遊ぶっていう概念自体が頭になかったのかもしれません。そんな事情で、大学入学後も自然とコミットできるものを探し、自然と熱中して・・という感じでしたね。