「人」にフォーカスしていきたい。
さくらインターネット株式会社 / 田中邦裕
今回、インタビューさせて頂いたのは、さくらインターネット株式会社 田中邦裕氏です!
1978年、大阪府生まれ。1996年、国立舞鶴高等専門学校在学中にさくらインターネットを創業し、レンタルサーバー事業を開始。
舞鶴高専卒業後の1998年、有限会社インフォレスト設立。翌1999年、さくらインターネット株式会社を設立、代表取締役社長に就任。2005年に東証マザーズへ上場。
学生時代から、インターネットに触れていたという田中さん。そんな田中さんの学生生活からインターネットとの出会い、起業に至るまでのお話をthe Entrepreneurが伺ってきました!
当社はインターネットのインフラを提供する会社でございまして、具体的にはデータセンター及びサーバーを提供する会社です。
具体的には、インターネットで情報発信するためには、「サーバー」というコンピューターにデータを蓄積して、インターネット経由でデータを送らないといけない訳ですけれども、そのサーバーが止まってしまうと当然そのデータを閲覧することが出来なくなってしまいます。
例えば、故障した時に素早く交換するというような渉外対応や、そもそも問題が起こらないようにするために、例えば電源設備を二重化したり、発電機を設置したりすることであったり、そういった設備投資をしてお客様にサーバーが安全に使える環境を提供することが当社のビジネスとなっております。
当社は事業といっても、基本的には非常に単純です。あまり手広くやっていないので、「単一事業」であると言えるかもしれません。
最近ですと、北海道の石狩にデータセンターを作りまして、その石狩のデータセンターを有効活用した形でのサービスの提供というのに力を入れています。
今までは、データセンターの約7割が東京で使われていると言われているほど、東京にデータセンターが集中していました。その理由としては、やはりお客様がサーバーコンピュータの故障時の交換が素早くできるということや、トラブル時の駆けつけ対応が出来るといった理由から東京が選択されてきましたが、現在、東京の電力供給については不安がありますし、震災のリスクや土地の価格も高いです。
石狩の場合、どうしても距離的に遠いということから、メンテナンス等の不安がありましたが、3月から導入したリモートハウジングというサービスによって、データセンター内の物理作業を当社が代行できるため、トラブル時でも安心してお使いいただけるようになりました。
物理的に訪問する必要がないような形のデータセンターサービスを提供していますので、そういうサービスを強化することで、都心でなくてもデータセンターをさらに便利に活用して頂ける、そういったサービス作りをしたいと考えています。
まず、データセンターを作る度にお金が足りなくなるということは、ずっと経験してきました。
流石に現状ですと、充分な売上と利益が出ていますのでデータセンターを作ったとしても赤字になるということはまずありません。 ただ、10年ほど前の初期は、大体データセンターを通して、2~3億のコストがかかりました。当時の2~3億というと、払うだけでも相当大変でした。
また、その時はちょうど不景気でしたので、データセンターを設立したけれどもユーザーが多くないという状況でした。お金が払えないんじゃないかという危機には何度も直面しましたね。
インターネットと出会う前の10代のころの話になりますが、私は高専に通っていました。高専は普通の高校と違い、大学のようなキャンパスで勉強をする環境でした。そこには色々なネットワーク設備がある研究室がありました。幸いにもそのような環境に触れられることが出来たということが一番大きいかもしれません。
コンピューターは元々小学校の頃から、多少プログラムをしたりして使ってはいました。その学校のネットワークはTCP/IPという、いわゆるインターネットをつなぐための仕組みでした。学校にある自習室のパソコンから研究室のサーバーまでつなぐことが出来るだけのものでしたが、コンピューターは基本的には単独で使うものだと私は以前から思っていましたので、ネットワークでパソコン同士が繋がるということを目の当たりにして感動したんですね。
それをきっかけに、16~7歳の間、自分でサーバーを立ち上げ、ホームページとサーバーを提供するサービスを学内でやっていました。
学校のネットワークがインターネットに直結され、今まで学内だけで使っていたいわゆる自分のパソコンからサーバーに対して接続するという一方向的だったものが、逆に自分でサーバーを立ち上げれば第三者が見に来ることが出来るという、インターネットの双方向性に出会ったことが一番の衝撃でした。