今ワクワクすることから自分のキャパシティを広げる
Love’s Gallery / 藤原愛
1987年生まれ兵庫県西脇市育ち。22歳の時にフェアトレードポリシーのショップカフェ”Love’s Gallery”を兵庫県神戸市に立ち上げ、その後インドネシアへ移住。運命のように出会った島カポポサン島でフェアトレードココナッツオイルプロジェクトを開始。拠点を日本に戻し、消費社会のあり方の意識改革のキッカケづくりに努める。いいお金の流れを作れば社会は良くなると信じ、フェアトレードが当たり前の世の中になるよう願い、自分がどこまで出来るのか挑戦し続けている。
【Love’s Gallery ホームページ】
http://lovesgallery.wix.com/coconutoil
田舎の公立高校の普通科に通っていました。私は大学に行くメリットを感じていなかったので、卒業したら単身で留学に行こうと決めていました。
ありませんでしたね。むしろ、根拠のない自信がありました。とりあえず、英語が話せたら、次の道が開けると考えていました。その後、実際にカナダに留学をしました。
19歳の時に帰国し、カナダと日本社会のギャップを感じて、なかなか自分に合った場所を探せずにいました。そんな時に、スペインバーに辿り着き、外国人も多く、上下関係がない場所で様々なことを挑戦させて頂きました。
ある時、上司の方から、「君はここだから通用するんだ。社会に出たら、通用しないよ。」って言われたんです。それがきっかけで、「それなら、自分でやってやる!」と思い店を辞め、自分で店を開いたんです。今振り返ると、当時の上司の言葉は確かにそうだと思います。しかし、その言葉を言ってもらえたから、自分自身で挑戦することができたと思います。
神戸3年間、フェアトレードポリシーを持ったショップカフェをやっていました。フェアトレードというのは発展途上国の原料や製品を搾取するのではなく、適正価格で継続的に買うことです。自分が旅で買い付けた雑貨品を売るのと、フェアトレードのマークのついたコーヒを使っているカフェをしていました。自分のやりたいことを追求することを大切にしていましたね。
私は小さい頃から、フェアトレードが定義するものが「当たり前」のことだと思っていました。「フェアトレード」と言わなくてはいけないほど、この世の中がフェアじゃないと気づいた時、ショックを受けたんです。自分の着ているものや食べているものが嫌になったくらいです。でも、ただ否定するだけでは意味がないので、フェアトレードとなるものを自分で作っていくということに決めました。
学生の頃から、「世の中の役に立ちたい」と「いろんな世界を見たい」という気持ちを強く持っていましたが、その時はまだ漠然としていましたね。
「私がやりたい仕事を名詞化したら、何になるのだろう」とずっとモヤモヤしていた時に、「社会起業家」という働き方を知り、「私がしたいことはこれだ!」と思いました。同時に、「私のやりたいことは、今まで他の人がやったことないことだから、自分で作っていかないといけないのだな」とも思いました。だから、カテゴライズされるとしたら「社会起業家」なのかもしれませんが、実際のところは明確には言えません。
「フェアトレード商品を生みたい」という気持ちが強くなっていったのは確かですが、お店を出した時点でも、どのようなプロセスでどのような完成品を作りたいかというビジョンはありませんでした。想像できる範囲でちょっとずつ、身の丈に合ったやりたいことを形にしていく内に、本当にやりたいことが分かってくるのではないかと思います。