大企業から一転アルバイトで、確かな最小単位の価値とチャンスを見つけた起業家
株式会社クラシック 代表取締役 / 坂井裕之
インターンの大学生が起業家へ取材する!起業家インタビューのthe Entrepreneur(アントレプレナー)
1977年生まれ。株式会社アサツーディ・ケイにて雑誌メディアバイイング・プランニングを担当。2006年より株式会社リクルートにてホットペッパー事業企画に。営業企画、商品企画などメディア運営を担当。2011年、株式会社講談社BCに入社し、新規事業開発室にてカスタム出版の編集などを担当。2014年に独立。根性を叩き直すために、テレアポとチラシ配りのアルバイトを1年。 設計事務所へ1万2千件のテレアポをするなかで見出されたニーズや着想をもとに、”クラシック”を企画、創業。趣味はバスケットボール。行きすぎた趣味と言われるほど、人生を賭けている。好きな建築物はもちろん、丹下健三先生の”代々木第二体育館”。バスケの殿堂は、いまの仕事に通じている。
事業内容は、「クラシック」というウェブメディアの運営です。暮らしと家を考える人のためのサイトになっています。建築家さんが作った注文住宅や建物について魅力的なストーリーとして伝えることや、写真をどこよりもリッチに伝えることにこだわっています。私は以前リクルートに勤務していたのですが、リクルートとビジネスモデルは全く一緒です。建築家さんに訪問営業をおこない、弊社のサイトである「クラシック」に掲載してくれる方を探しています。年会費を頂く代わりに、記事にしたい事例があれば弊社が取材して制作します。クラシックに載っている建築家さんは、ユーザーから見れば自分の家の建築を頼みたい相手となります。CGM型のウェブメディアではないので、無料アカウントではなく、有料での登録というところが珍しいと思います。
暮らしと家を考える人のためのWEB媒体「クラシック」
ビジネスモデルとしては、年間固定費と1物件あたりの制作費を頂戴するというカタチになっています。弊社では原稿と写真の使用権を建築家さんに渡してしまうのが特長です。リクルートや一般的なウェブメディアはタイアップ等で「自分のサイトに載せるための制作」を行いますが、弊社では建築家さんはクラシックに載せている「情報を全て個人のウェブサイトや他社のサイトでも自由に使用可能」となっています。つまり、実は建築家さんのための事例素材制作業です。そうして納品した素材を、当社に掲載していただいているということになります。これは建築家さんにとっては画期的な方法なのです。何故なら建築家というのは、商習慣として建物を引き渡すと自分のところには何も残りません。ゆえに建築家さんは、引き渡すタイミングで竣工写真を撮るためにカメラマンを依頼します。多くの方が1回あたり約15万円ほど支払っています。弊社でも竣工写真の撮影を任せてもらえるように業務委託でカメラマンだけでなくライターを派遣でき、制作した素材データを建築家さんがいつでも使えるように差し上げているのです。建築家さんには、写真だけでなくしっかり第三者視点にも立った説明が出来るテキストが、従来と違って、プラスで納品されます。マーケティングの視点に立った素材生成の代行をして貰えるということで、とても好評を頂けています。
ウェブスキルはもともと無かった状態で起業しましたし、今でも細かいことまでは分かりません。ウェブ上で表現するためのコンテンツ作成には私も携わっていますが、専門的なスキルを求められる部分については、制作会社やパートナーに任せていくことで対応しています。大事なのは、何を伝えるか、ユーザーにどういう体験をさせたいか、という戦略をつくることですから。その結果選択した戦術がWEBでした。そこは専門家に任せるべきと役割分担しています。
当時は大手志向が強く、起業という意識は全くなかったです。僕は大学を5年間通っていたのですが、最後の1年は時間的に余裕があったので、創業間もないベンチャー企業でアルバイトをしていました。スポーツメディアの分野のベンチャー企業だったのですが、学生ながらに大手企業出身の方が頑張るベンチャーの現場を体験できたのは、とても有意義でした。やはり、まずは仕事のマナーや基礎体力ふくめ、大手で身につけるべきだろうと考えました。そのため就職活動は大手になっていましたね。
アサツーディ・ケイで働いてみてはっきりと分かったのですが、僕は会社で働くということがそもそも不向きでした。会社からはしょっちゅう抜け出してフラフラしてましたし、先輩にウソをついてごまかすこともありました。しかも髪の毛は金髪でしたからね。(笑) もともと自分の人間性の部分でサラリーマンが向いてない、というか信頼を得るということがやり切れない人間でした。働いてみて「どう頑張ってもサラリーマンは向かない」と、サラリーマンという立場のせいにしてしまう部分もありました。たくさんの人に迷惑をかけてしまっていましたし、逃げ道のように私は自分で起業した方が良いのかもしれない、と後々にかけて思うようになっていきました。