独立は、「独り立ち」ではない
株式会社ファイブスターパートナーズ / 蒲池 崇
学生時代は中学高校と野球部に所属していました。そこでの経験は今となってはかなり活きています。
当時は日々の練習が非常に厳しかったんです。甲子園に出場するほどの実力校だったので毎日辛い練習ばかりだったけれど、逃げずに真剣に取り組んでいました。今振り返ってみると、あの時にあれだけ厳しい練習を、逃げずにやりきったことがまず自信になっています。また部活での練習はもちろん、部員の厳しい上下関係から学んだ挨拶や言葉遣いといった礼儀も活きてきていますね。
昔は起業するとは思ってなく、正反対の職業を目指していました。
父親が消防士なので、将来は消防士になろうと思っていました。身近な存在に公務員がいたので、自然な流れで、大学1年の頃は通常の授業を受けながら、その後にある公務員講座を履修して勉強していました。また当時は景気が悪く、超就職氷河期だったので、安定志向が強かったのです。これは公務員しかないだろうと思っていました。しかし、大学2年の時にアメリカへ留学をしたことが転機になりました。そこで日本人留学生を含む多くの人たちと将来について語り合ったりしました。「こんな仕事がやりたい」「将来はあんな仕事をするんだ」といろんな学生の夢を聞いていくうちに、公務員以外にもいろんな職業があるんだなと思うようになったのです。それが他の職業に興味をもつきっかけでした。
もし万が一、自分の勤務する会社が潰れても、もしくは、いつ自分がリストラにあったとしても、自分ですぐに、転職もしくは独立できる力をつけようと思っていました。
コンサルティング業界を選んだのは、一番自分を成長させることができると思ったからです。目に見える商品を扱うのではなく、自分自身が商品であって、お客様も自分の父親もしくはそれより年上の、経営者の方々だったので、そこでやっていくためには、おのずと自分を成長させなければならない絶好の環境だと思ったので、内定をもらっていた株式会社船井総合研究所に、入社しました。
最初の船井総合研究所に3年勤務の後に、社員教育会社に転職しました。
そこでも中小企業の経営者の方々が自分のお客様だったのですが、そこで、社員研修の営業をやっていまして、単価が高かったため、それなりに大きい企業のお役には立てたものの、本当の中小・零細企業のお役に立つことができないことがあったんです。そのときに、これは違うんじゃないかなと思って、それがきっかけです。