たった1人の天才をつくる
早稲田先生プロジェクト 代表早稲田先生早稲田大学法学部4年 / 齋藤 康太
生まれたとき未熟児だったので「健康に太る」という意味で康太と名付けられました。小学生の頃は体が弱かった事もあって、いじめられっ子でした。中学に入学した時に、いじめられるのが嫌だったのでいじめる側に回ろうと思い、いじめっ子たちのトップに君臨しました。僕は別に喧嘩が強いわけではないのですが、いじめられてた時に人間関係をよく観察していたので、感情の動き方や集団心理など、組織論を熟知していたんです。だからいじめる側にまわって、コントロールする事は楽勝だったんです。2人転校させるくらいの、どうしようもない問題児でした。そんな中学3年のある日、両親に「勝ち組になるか負け組になるか、どちらか選べ」と言われた。僕は勝ち組になりたかったので、勝ち組になりたいと言ったんです。「勝ち組になるには、勉強しろ」と言われ、当時つるんでいた友人達ほぼ捨てて、1年間毎日16時間ぐらい勉強しました。学校もほとんど行かず、行ったとしても授業中教師の話を全てシカトして、自分で勉強。結果、早稲田大学高等学院に合格しました。
高校に進学してからは、女の子に目覚めます(笑)。毎日合コン、デート、ナンパを繰り返してました。高校3年間から大学2年間までの5年間は女の子を中心にずっと遊んでいました。本気で何かに取り組む事なんて馬鹿らしかったし、友達と遊び呆けている時間が最高に楽しかった。バイトもしませんでした。お金は人から借りるかギャンブルで稼いでいましたね。でも、 成人したらしっかり自分と向き合おうと母との約束で決めていたので、20歳になった時中学の頃と同じように友人と縁を切って再び勉強を始めました。
100冊以上の専門書を読んだり、100人以上の著名人への訪問、裁判や歌舞伎を見に行ったり今までしなかった事を全てやりました。1日に本を3冊以上読み、そこから得た学びを翌日から実行に移したり、勉強会を開いたり、株も始めて社会やお金の流れを勉強しました。就職活動はあまりしておらず、きちんと選考の受けたのは今の内定先だけです。
一言で言えば、運命を感じたからですね。一次選考当日、早朝5時まで飲んでいて、午前10時から面接がありました。絶対参加できないと思っていたのですが、何故かその日は午前7時に目が覚めたんです。普段だったらお昼までずっと起きないのに、目覚めがすごく良かった(笑)。「おぉなんかあるかも。」と思って選考会に行ってみたら、ある役員の方にすごく気に入られたんです。その翌日、選考会でお話した役員の方から電話が来て、「凄い人に会わせてやるから絶対に二次面接も来い。」と言われて、面接に向かうと、面接官がなんと社長だったんです。それからも会社のエースがいきなりリクルーターについてくれたり、忙しい中でもすごく面倒を見てくれた。凄く大切にして頂いていると思ったし、会社の誠意を感じて、僕も他の会社は全てお断りしました。
聞きませんでしたね。みんな「どこが良かったか言おうか?」と言ってくれますが聞こうとは思いません。なぜなら今の自分とは関係ないからです。僕は3年時に1年間で激変したという自覚があったので、このままストイックに勉強したら化け物みたいになると思って(笑)、だから今の自分は関係ないですし、その時の評価を聞く必要もないんです。
就職活動を終えて残りの1年間を考えたとき、まぁ、「暇」じゃないですか。勉強、遊び、海外旅行・・・、選択肢は山ほどあったのですが、ある時「僕って恵まれているなぁ」と思ったんです。7年間親に私立の学校に通わせて貰って、学費も自分で払う必要が無いので勉強する時間もたくさんあった、本当に恵まれてるんだなぁって。その受けてきた恵みをどうやったら学生なりに還元できるのか考えていました。僕の問題意識としては、就職活動中に感じた個性のない学生たち。日本はこのままで本当に大丈夫か?って思ったんです。そこで学生のマインド変革を残りの学生生活を投下して、仕掛けようと思ったんです。そんな時に「日刊スゴい人」の只石さんの勧めでブログを始め、最初は単なる日記だったのが徐々に形式が変わり只石さんの後押しもあって「日刊スゴい人」の学生版を始める事を決めたんです。初めは「日刊スゴい学生」と名付けたんですが、これはさすがにパクり過ぎで怒られると思ってやめました(笑)。どうせやるんだったら1年間で日本一有名な学生になってやろうと思い、それを目標にして達成するために試行錯誤の末「早稲田先生」と名付けました。検索のしやすさ、インパクト、オリジナル性、キャラクター性などを考え、マーケティングを徹底した結果です。