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明治大学経営学部3年 学生維新代表 学生団体SWITCH 創始者 次世代リーダー緊急会議 学生幹部 / 吉田 勇佑
「SWITCH」「次世代リーダー緊急会議」「チャリフェス」「学生維新」・・・。
何かとよく耳にする言葉だと思います。これら全てに濃く関わっているのが明治大学3年、吉田勇佑さんです。
最近では「○○維新」が多くの大学で開催されています。
その学生維新を仕掛けた吉田さんにSWITCH時代のお話や学生維新についてお伺いしました!
小学校の時は、友達に誘われて始めたサッカーにとにかく夢中でした。将来はサッカーの日本代表になろうと考えていたほどで、一応、ちょっとした注目プレーヤーでした(笑) サッカーに夢中になりながらも、リーダーを引き受けることも多くて、大好きだった運動会などの行事では率先してリーダーを引き受けていましたね。
当然ながら、中学校でもそのままサッカー部に入部しようと考えていたのですが、サッカー部はなにかとイケイケでやんちゃな人が多く、チキンな僕はなかなか体験入部に行けませんでした(笑)そんなときに、友達と一緒にバスケ部の体験入部に行ったんです。その時体験したレイアップシュートが楽しくて。結局バスケ部の体験入部に通い詰め、入部を決めました。部活では人に恵まれていましたね。学年を超えたお泊まり会をしたり、しょっちゅうご飯を食べに行ったりと、かなり仲良かったです。尊敬できる先輩にも出会い、進学先の高校も、バスケ部の先輩の影響で決めました。
都立城東高校に入学し、バスケ部に入りました。城東高校は都立の中ではバスケが強い学校で、レベルの高い仲間や先輩達に囲まれながら必死でバスケに取り組みました。僕達の代のキャプテンを投票制で決定するとき、みんなが僕をキャプテンに選んでくれたことは、本当に嬉しかったですね。それと同時に不安もありました。
同学年だけでも30人弱と大規模かつ、レベルの高くモンスターのように個性的なメンバーを、恥ずかしながらスタメンでなかった僕が、本当にまとめていけるのか、毎日試行錯誤の連続でした。仲間の衝突が原因で部活の時間が会議になってしまうこともありました。
それでも、みんなで同じ目標に向かって一丸となって戦うことや、困難を乗り越えた先の喜びが本当に大好きで、毎日が本当に楽しかったです。仲間達と戦い、都で16位という結果を残せたこと。キャプテンとして戦えたことは本当に人生の誇りですね。その時の仲間に、ありがとうと感謝の気持ちを改めて伝えたいです。
高校のバスケ部の一つ上の先輩が東京理科大学に進学したことが、意外とプレッシャーで。(笑)キャプテンとして、部活をしながらも志望した大学に行けるという城東高校伝統の文武両道の精神を示したくて、自分の中でのイメージが一番良くて、なんとなくかっこ良さそうだったのが明治大学だったので、そこを目指しました。正直勢いの部分もありましたが、なぜか、ここだ!と思っていたんですよね。
経営学部を選んだことにも、当時の自分なりのこだわりがありました。起業家である友人の父の話を聞いて、とても刺激を受けたのがキッカケで、自分でビジネスをやるのも楽しそうだなーと、イメージするようになりました。その友人とも、将来一緒にビジネスをしようと語り合い、二人で明治の経営学部を受験することにしたんです。
それが、実はそうではないんです。僕は得意分野が出たこともあり、明治大学に合格することができたのですが、彼は、残念ながら不合格となり、受験に失敗してしまったんです。
様々な事情から、彼は浪人という選択肢を選ばず、城東高校の友人がほぼ100%進学をする中で、彼は就職という道を選びました。当時の自分では実際に働くなんてことは考えられなかったので、驚きでした。そんな彼は、私の人生におけるキーパーソンの一人でもあります。
大学に入学する前は、とにかく色々な妄想が膨らんでいて…(笑)オレンジデイズみたいな日々で、勉強も好きなことを学べて、色々な人と出会えて、とにかく刺激的な環境なんだろうなーってイメージしていました。僕の中では、大学には「出会いと成長」を求めて入学したんです.しかし、現実には教授は自分の学問の面白みを生徒に伝えるというよりは、どのようにすれば単位が取れるのかを長々と話し、単位のための授業、授業のための授業といった感じがして、入学早々、落胆していまいました。 出会いという面でも、期待していた分落胆も大きかったです。あれだけの生徒数がいながら、出会える環境はクラスとサークルがメインで、思ったよりもそういう機会には恵まれていませんでした。それも、今となっては常に受け身で結局なにもしていない自分がいけなかったと、反省していますが。 1年の夏頃までは、このようにもっとたくさんの出会いのある環境に飛び込みたいと思っていながらも、なかなか新しい生活の目の前の楽しさから抜け出せず、何かしたいという「心の底の想い」も、まだまだくすぶっている状態でした。そんな中、夏休みを迎えた僕は、先ほど話した、すでに社会人として働いていた友人と久しぶりに会う機会がありました。高校の時と同じ感覚で話をしてみると、社会人になった彼は一皮も二皮もむけて、まるで別人のように成長していました。 考え方もしっかりとしていて、当時の自分との差は歴然でした。それがとても悔しいというか、衝撃だったんです。
それから、自分が今やりたいことは何なのか、本気で考える機会が多くなり、大学に入ってからも続けていた準体育会のバスケ部も、すごく仲の良い仲間もいて、大好きだったのですが、どこかで中途半端な自分に嫌気がさし、辛い決断でしたが1年生の11月に辞めることを決意しました。それから、今まで以上に何かしたいという想いは強くなっていきましたが、具体的に何がしたいのか、何をすればいいのか分からず、もがいてもがいて結局具体的には何もできずに時が過ぎてしまいました。
悩んでいるときに、先輩に誘われて、とあるイベントに行く機会がありました。今まで「イベント=なんだか怖いもの」という印象が強かったのですが、学生主催でこのようなイベントが作れることに驚きと可能性を感じるようになりました。その後は、そのイベントを友人と共にスタッフとして主催するようになっていたのですが、その時のメンバーの友人にGRAPHISという学生団体に所属している方がいたんです。GRAPHISという団体は、チャリティのクラブイベントを開催している団体で、カンボジアの医療支援活動をしています。祖父の影響で、物心ついたころから、海外やボランティアに興味のあった僕は、GRAPHISについて話を聞いたり、調べてみたりすることにしたんです。その時に団体の創始者である石松さんの存在を知りました。サイトで見つけた、とあるイベントのスピーチで石松さんは述べられていました。
「ボランティアには色々な価値観があっていいと思います。色々な支援の仕方があってもいいと思います。また、現実を知りながらも支援をしないという方法もあります。ただ、自分が違う国に生まれたという理由だけで、教育や医療の機会に恵まれないということは、どこか理不尽だと思うんです。だからこそ、僕はそこに対して全力を尽くしたい。僕のこの想いや、現地の皆さんの想いが、このイベントを通じて、1人にでも伝われば、僕は嬉しいです」と。気づいたら、ムービーを何回も再生していた僕がいました(笑) 「なんだこの人…同じ学生なのに、想いを持って、そこに向けて本気で生きていて・・・すごすぎる。」単純に感動というか衝撃というか・・・熱い思いで胸が一杯になりました。でも、少し落ち着いて考えたときに気づいたんです。同じ学生の方が出来たんだ。もしかしたら僕にも、何かできるかもしれないって。そういう気づきを頂けた意味でも、石松さんという存在を知れことは僕の中でとても大きなキッカケでした。「自分はこのままでいいのか」という想いを改めて強く持つようになりましたね。