事業創出家
S-Factory & Co. / 尾崎 典明
「自由人」という言葉が似合うS-Factoryの尾崎典明さん。
学生時代はバックパックでアジア各地を放浪。「好奇心の塊みたいな人間」そう御自身で語られるよう、自由奔放にコンサルタントとして様々な案件に従事。多忙時には数十件の案件を同時に抱える事もあるとか。
尾崎代表の独立までと、今後の展望についてじっくりお伺いしてみました。
福岡県の久留米市出身です。昔から目立ちたがり屋で、生徒会長や応援団長なんかもやっていました。小学生の時に商売?に目覚めて、秘密基地運営のために友人達と町内を回って古瓶を売り歩いたり、家事・掃除代行をやってましたね。最終的には近所のおばさんに通報されて営業停止になるんですけどね。(笑)
高校の時は遊び、バスケ、応援団とバカばっかりやってました。とにかく勉強をほとんどしないで遊んでばかりいたので、成績は下の下。案の定、浪人するはめになり、1年間浪人期間を経て九州工業大学に入学しました
当初は宇宙に興味があったのですが、浪人の時に宮崎駿監督の「もののけ姫」を見て、こりゃいかん、宇宙は趣味にしといて、これからは環境の時代だ!と触発された事がきっかけですね。(笑)
研究そっちのけでバックパックを背負い、アジアを放浪していました。インド、ネパール、タイ、カンボジア・・・とにかく刺激的な毎日でした。異文化圏なので、当たり前ですが日本とは全くライフスタイルやものの考え方が違います。日本での常識が完全に崩れ去りますよ。リキシャー(人力車)で事故にあったり、ガンジス川で沐浴して赤痢になったり、タクシーに乗ったら運転手に暗闇に連れて行かれて強盗まがいにとり囲まれたり。日本じゃ絶対に体験できないような不条理さでした。(笑)漫画のような出来事が毎日のように起こって、既成概念とか、完全になくなりましたね。
アジア放浪から帰国した後、大学院に進学しました。そこの先生たちが素晴らしい方たちで、そんな理由で、様々な企業にも強いコネクションを持つ研究室だったのですが、僕には大企業は合わないと思っていたんです。大学院でも、研究はそこそこにやってはいましたが、放浪・遊び癖はなおらず、自由奔放にしていましたし、好奇心の塊のような人間で欲張りなんでしょうね。(笑) 教授も僕の事をよく理解してくれていて、「アンタは大企業に行ってもつまらん」と常々言ってくれていました。(笑) 独立精神も非常に旺盛だったので、5年働いたら独立して事業を興せるくらいの力が身につく、そういう軸を持って就職活動をしていました。
そんな時に、大学に来られたあるコンサルティング会社の社長の講義が凄く面白かった。それがキッカケで、夏にその会社のインターンに参加させて頂き、そのまま入社を決めました。
その社長の講義の中で、「自分の仕事は水戸黄門みたいなもの」というフレーズがあって、僕のやりたいことのイメージとピッタリ重なったんです。企業と企業、人と人を上手に調整して、解決策をズバッと提案する。そして問題が無事解決したら、「わっはっは〜!」と去っていき、次の仕事に向かう。それって凄く格好良いと思ったんですよ。
入社してからの担当案件も本当に多種多様でした。新事業・新商品の開発、知財戦略立案、ビジネスモデルの構築、クライアントは金融、小売、電力、情報、製造業、研究機関、大学、マグロ漁船、クリエイターが集うインキュベーション施設等々・・・挙げればきりがないですが、本当に何でも屋ですね。大体30社くらいを平行して担当していたので、心身共に非常に鍛えられました。ハードでしたが、嫌でも実力が身につく環境でしたね。
入社して3年でチーフコンサルタントを任せられ、予定より少し早い4年半でそのコンサルティング会社を辞めて独立しました。
飲み込む力と愛嬌ですね。寝ている暇なんか無いくらいいろんなものを飲み込んで吸収していましたね。30件も担当していると、それぞれの業界の事、企業の事、人間関係の機微、先端技術と、学ばなければならないことが本当に多い。こちらはすぐにでもキャッチアップして、クライアントにはない視点をもって良い提案をしなくちゃいけない。半端な勉強量じゃなかったですよ。絶えず飲み込んで吸収して吐き出していました。逆に、大学なんかで経営を学んだからといって、コンサルタントが務まるとは到底思えません。
愛嬌も非常に大切です。相手はその会社の経営陣や技術や営業うん十年の歴戦のつわものばかりですから、それこそ本当の修羅場を潜ってきている方々です。そういう方々に可愛がって貰えないと、本質的な情報を引き出す事ができないし、スムーズなやり取りもできない。太宰治の『人間失格』で、「おまえは器量が悪いから、愛嬌だけでもよくなさい」という一文がありますが、本当にその通りだと思いますよ。人間がやることですから。