起業=ストレスフリー
有限会社ビジョンブリッジ / 橋本 美智子
ビジョンブリッジは事務局業務のアウトソーシングを受託する会社なのですが、政府機関の翻訳業務であるとか、コンサルティングであるとかさまざまな仕事を請け負っておりまして、以前大手企業の経営者の方から『雑木林』と言われてしまいました(笑)。ビジョンブリッジは何をする会社なのか風景がよく見えない会社であると。『雑木林』をどのようにしていきたいのか決めるのが現在の私のミッションでして、去年の年末に社員を集めて、どんな会社にしていきたいのかを話し合いました。そこで決まったのは、ビジョンブリッジを『竹林』にしようということでした(笑)。 会社で何をコアにしてやっていきたいかということを決めるのがこの1〜2年での課題です。ただがむしゃらに会社の規模を大きくしたとしても、それは永続する企業ではないし、本当にお客様に喜ばれる会社かどうかも確信が持てませんし。そして、去年新しいことに2つ挑戦しまして、大きな失敗をしましたが、なんとか業績を回復し、今年はすでに黒字になることが予想されています。 一つはミッションデザイナーズ部門といって、エグゼクティブ向けの会議が対象の装花・装飾事業で、そういうところでは、例えばテーブルクロス一つにこだわりたいというお客様もいらっしゃいますよね。現在は種まきの段階ですが、そういうお客様に向けての事業を一つ一つやっていこうと思っています。もう一つは、会議の下請けではなくて、自分たちがテーマを決め、価格を設定したり、会議をオーガナイズしたりする仕組みを構築していくことです。昨年プライバシーとセキュリティに関する国際会議を開いて、そこにはマイクロソフトのCPOに基調講演をおこなっていただき、NHKにも取材を受けるなど注目を浴びた会議だったのですけれども、収支は400万の赤字になってしまいまして(笑)。 これってビジネスじゃないですよね。 ここ1-2年は会社の足腰をしっかりして、5-10年後は規模の拡大をしていこうかと思っております。今ビジョンブリッジは、無借金経営でやっているのですが、足腰を鍛えて、信用が得られるような経営基盤を築いた際には、資金を借り入れて、より規模を拡大していくという、そういうシナリオを描いています。
お客様にとって悪いニュースは早く、良いニュースは遅くです。何かあったときは、お客様に正直に失敗を伝えることです。 そうしないとお客様がいちばん困られるわけですよね、なので、そういうときはすぐにお客様に報告することにしています。
ATMというのは銀行のATM(Automatic Teller Machine)ではなくて、インターネットのバックボーンに使われる技術です。 クリントン政権時代に、ゴア副大統領が提唱した「情報スーパーハイウェイ」という概念がありました。インフラを用いて、遠隔医療とか在宅勤務とかネットワークでつながることで、その場にいなくても治療を受けられるとか、働くことができるというような概念があって、その当時かなり注目されたのです。しかし、当時はデータが重いとすごく時間がかかって実際の技術の進歩に障害を与えていました。 ATMというのは、その問題を解決する技術と考えられたのです。 その技術を国際的に普及させていこうという機運が米国で生まれ、瞬く間に世界に広がり、ATMフォーラムは国際的な仕様標準化団体として、誕生しました。 ATMフォーラムは、1991年シリコンバレーに設立されて、1992年から1993年にかけて、ヨーロッパ、アジアに事務局を設けて グローバル展開をしていこうということで発展していきました。 私はそのアジア太平洋地域の事務局責任者として11年くらい仕事をしたのです。 日本でも情報通信に関する名だたる会社はほとんどが会員として加盟していて、ピーク時では全世界900社が会員になっておりました。