相手を気遣う、助け合う
有限会社エスタシオ / 舟木 なみ
私はもともと主婦願望が強くて、『大草原の小さな家』が愛読書だったんですよ(笑)中高大とずっと女子校、それも良妻賢母養成学校のような場所でしたので。まあそこで普通のお嬢さんとして生活していたわけなんですが、大学生3年生の時友達に紹介されてリクルートでアルバイトを始めたんですね。そこで、様々な権限を与えてもらって、「面白い」と思って仕事に目覚めてしまったんです。がんばりすぎて月に20万円とか稼いで親に怒られちゃいました(笑)ですから大学時代はアルバイトに明け暮れていました。女子大っぽいサークルとか飲み会とかそういうことはなかったです。当時はディスコ全盛期でしたけど、友達がディスコで華やかな時間を過ごしているとき、私はリクルートブックを作る仕事をして、どんどん倒れていく仲間の中で3日位家に帰れずに仕事ということもありました。
当時はバブルの名残がまだありましたし、就職活動の解禁日が今よりかっちり規定されていたので、大学4年の5月位から就職活動を開始して、リクルートの自由な社風が好きでしたのでリクルートに就職しました。もちろんコネとかではなくて一から受けなおしました。ですからアルバイト時代は内勤でしたけど、就職してからは広告営業として働きました。
みんな生きていますね。今の私の仕事のスタンスは、アルバイト含めたリクルート時代の『楽しく仕事をしたい』という雰囲気からきていると思うので。
先程も言った通り、入社してからは広告営業として働いたので、アルバイト時代とはだいぶ職種が変わったんです。沢山学ぶことがありましたよ。当時は人見知りだったので、なかなか一歩踏み込めなくて仕事が上手くいきませんでしたし、アルバイト時代は仕事を甘く見ていたというか、まあ、3日も会社で缶詰するようなアルバイトは私だけでしたので(笑)上司の方々に気に入られていたんですよ。それで少し天狗になっていたんですね。 でも営業って自分の能力、実力がそのまま結果として現れますよね。当時は「広告スペースを売る!!」という考えしかなかったので、なかなか成果を出すことが難しくて。今思えばもっとお客様のことを考えたコンサル的な部分が必要だったんだなってわかるんですけど。ですから入社当初は苦労しましたね。ですが、名刺獲得数大会っていうどれだけ名刺をいただけたかを競うイベントなんかが新人にだけあるんですけど、そういう競争の機会を通じて負けず嫌い心に火がついて、だんだん力はついていきましたね。
実は父がもともと美容業界に携わっていて、シャンプーを卸したりする会社なんですが、その一環で美容院も経営していたんですね。リクルートが面白くなってきたかなと言う時に、父に会社をちょっと手伝ってくれと言われたので、リクルートを辞めて父の会社に入ったんです。それが25歳の時ですかね。でも私は美容師ではないし、経営の知識も乏しいし、社長の娘というだけで入っているわけですから従業員の方ともよそよそしい感じで、なんというか実力が追いついてなかったんですね。それで「この仕事は楽しくないな」「成長できないな」と感じてしまって、5年で辞めました。仕事は自分が成長できなければ意味が無いと思っていますので。そのあとリクルート時の上司がコンサル会社を興すという事でそこに移りまして、主に新卒採用のお手伝いや会社説明会のプレゼン、教育研修なんかをやらせていただきました。そこでの仕事は本当に面白くて、充実していましたね。ですがそこで働き始めて5年後に、父の会社が債務超過で傾いてしまったんです。5年で従業員はそんなに変わらないので顔見知りが多かったですし、会社がつぶれてしまったら従業員の方々は路頭に迷ってしまうわけですから「何とかしなければ」と思ってそのコンサル会社を続けながら、父の会社の整理をしていました。