自分にしかできないこと
iroccoly / オノヘレ 浩子
高校時代は部活一色でした。スポーツを応援したいと思い、男子ハンドボール部のマネージャーになりました。 部活は、休みはないし、夜まで練習することも多く、気軽な気持ちで入ったもののとても大変でした。 ですが、仲間を応援したい気持ちが強くあったので、一生懸命取り組んでいました。
勉強は、好きな事は一生懸命やりますが、苦手な事はあまりやりませんでした。部活ばっかりやっていたような印象が強いですね。
高校時代にマネージャーをしていたハンドボール部で、見返りがあるわけではないのに誰かの為に一生懸命応援できたということはとても貴重な経験だったと思います。
ただ、あまりにも私たちが部員に従い過ぎてしまって、ぞんざいに扱われていた時期がありました。それを知った顧問の先生に、ある日「マネージャーは帰れ」 と言われ、帰るに帰れずに校舎の上から練習を眺めていたことがありました。普段だと私たちの仕事である飲み物の用意やボール拾いを全て部員が自分達でやっ ていました。
私たちマネージャーのありがたみを部員に伝えるために先生が図ったようです。次の日から皆が優しくなりました。
はい、その場に必要な身だしなみを意識する事や礼儀が身についたことですね。顧問の先生がとても厳しく、ミニスカートやルーズソックスが流行っていた時代で したが、私たちは禁止されていました。制服は見本が着ているような着こなしをしなくてはいけませんでした。この事で「自分はこうしたい」とうより、周囲の 状況を見て身だしなみを決めるという事を学びました。
周囲の先生方に対する挨拶も徹底されましたね。また、ひとつずつ丁寧に教えてもらうというより、やりながら覚えたり、自分で気をきかせて動く必要がありました。そこから自然と言われる前に動くことも身に付けました。これらの事は今でも本当に生きていると思います。
某コーヒー会社に入社し、デパートのテナントで店長をしていました。 若かったので就職の選択肢が営業、販売、事務という3つしか思い浮かびませんでした。その中で販売がいいなと考え、販売を選びました。
コーヒーについては、父の妹の家に遊びに行くといつもコーヒーを入れていたことから、大人でカッコイイ人はコーヒーを飲んでいるといういい印象がありました。
5年ほど勤めていました。テナントでは、女性が多い職場でした。自分の母親位の年齢の方からは可愛がっていただいたのですが、少し上の年齢の方からは若いというだけで意地悪される事もありました。ですが、自分が成長して行く事でまわりも認めてくれるようになりました。
また、店長でしたのでクレーム対応もいい経験になりました。心をこめてお詫びするという事がどういうことなのかを学びました。
販促のためのポップを作るというパソコン研修に参加した際にとても面白いと感じ、パソコンを購入しました。ですが、インターネットしかする事がなく、せっかく買ったのにもったいないなと感じ、勉強しようと思いました。
当時はパソコンスクールというと資格対策の講座が多かったので、その中で面白そうだと思いインストラクターの資格取得コースに通いだしました。 その時は仕事の休み時間にもかなり勉強をしていましたね。そして資格が取れるか取れないかという頃に営業へ転向するという話が持ち上がっていたので、いい機会だと考えて退職しました。
はい。通っていたパソコンスクールの先生に誘われ、そこで働くことになりました。約3年勤務しました。 入社した時はワードやエクセルを教えるインストラクターでしたが、会社の事業が拡大し、技術向けの講座を担当することになりました。
その際、技術者向けの資格について勉強したのですが、現場経験が無い自分に限界を感じました。わからないならやってしまえと考え、いずれはインストラクターに戻るつもりでエンジニアに転向しました。
本当ですね(笑)エンジニアといっても卵だったのですが、ワードやエクセルが使えるという事で、あるプロジェクトでたまっていたドキュメント作成を手伝う事ができました。
そこから仕事が広がり、銀行や携帯電話の監視システムなどにも関わりました。この時の経験を通して、ITの最前線の現場を見たり、自分が普段利用しているシステムの裏側を知る事が出来ました。他にも交渉などを学びました。