欲の置き所はその人の価値観次第
NPO法人ETIC. / 宮地治男
勉強会やイベントだけで若者達が本当に変われるのかと言うと、やっぱり変化した人達というのは何かしらの行動を起こした人達。話に来て頂いたベンチャー企業とのご縁で、そこでバイトのような形で入った学生がぐんぐんと成長し、その会社で活躍していたりするのも見て、何かしら実践的な行動を起こす場が必要だと感じた。だから、ETIC.のインターンシップというのは、ハードルを低くした起業的な経験を学生にさせてあげたいという思いでスタートしたところがあります。
いわゆる就職の為のインターンとか、2週間の見学型インターンとは全く発想が違う。やっぱり小さくても責任のある仕事をやるチャンスを提供したいというのが思いですね。
最初は5社ぐらいだったと思います。勉強会とかに来ていただいていた、若い人達にチャンスを提供したいという思いの経営者の方々のネットワークがあったので、ある程度すぐ集まりました。積極的に営業を仕掛けたという記憶はほとんどありません。
例えばベンチャー経営者の皆さんの中にも、できるなら社会の役に立ちたいという思いがある。起業を志すような学生に対して自分の経験している事を伝え、彼らをサポートする事は自分にしかできないとも思っている人達も非常に多いです。ただ、経営者にとって学生と触れ合うチャンスというのは中々ありませんでした。だからこそ弊団体のような組織が間に入る事で、そういう思いが具現化する機会を得る事ができる。次世代の成長に貢献する、という事は潜在的に各経営者の中で眠っていた事なので、特別私達が労力を割いてどうこうしたという記憶はないですね。ただ、学生さんの間で徐々に認知が高くなってきている事は、喜ばしい事でもあります。
今、「新しい公共」という言葉が言われている中で、教育や福祉、地域振興、環境など、社会にとって今だ決め手の見出せない課題ばかり溢れているのが現状です。一方で、変化の担い手が不足しており、行政も企業も手が打てていません。だからこそ、社会の課題に挑んでいく事を自分の中で見出して貢献していく事こそ、能力あるリーダー達の選ぶ人生の選択である、という好循環が生まれる状況をつくりたいと思っています。
我々がこの言葉を使ったのは、『社会起業家』という生き方を社会に認識してもらうためのスローガンとして発信していったわけで、厳密に定義し、区別をするための言葉とは考えていません。起業すること以上に、社会の課題に挑んでいく事を本業として挑んでいくという選択があるという事を伝える事が大事だと思ったのです。
社会起業家(ソーシャル・アントレプレナー)という言葉は舶来物のようですが、そもそも日本人はそういうマインドで仕事をしてきたというのがあって、社会起業という言葉自体は本来が必要ありません。日本では地域や社会の中で自分の役割を見出してそれを全うしていく事が商いの道だという事になっているから、利益が上がるという事は社会に貢献する事だという考え方がベースとしてあるわけです。ところが、大企業も含めてそういう当たり前の事を結構忘れがちになっているところがあります。それをもう一度思い起こさせる為に社会起業家、ソーシャル・アントレプレナーという言葉を発信しました。
起業家精神というのは、起業する事というよりは、自分の人生を主体的につくっていく当事者意識、責任感を持っている事かなと思っていて、勿論大企業の社員でもそういうマインドは持ち得る事ができます。日本には、世界の中でも際立って、仕事自体を世の中のお役に立つこと、自分の価値観を体現する「道」のようなものととらえるスタイルの伝統があると思います。つまり『社会起業家』は、日本人にとっては原点回帰的な発想なんです。
『起業』という言葉のイメージに捕らわれて、「起業って何だか格好良い」という認識で、やっても必ず格好悪い事が起こるものです。特に社会起業家というのは社会にまだそんなに道ができていない領域に挑んでいくわけで、困難にぶち当たるのは当然です。困難に対して立ち向かい、やり抜いていくだけの理由や覚悟がない人は絶対できない。それだけの思いがあるなら、起業すればあなたの歩いた後ろに道ができていくし、そこまでの背景がないならば、ささやかなことでも、今の立場でできる事から始めていったら良いと思います。その中で、一番自分らしいアプローチが自ずと見えてくるはずです。