変わる、ジブン。変える、ヨノナカ
ブラストビート / 松浦 貴昌
10年間のバンド活動、30種類以上の職業を経て、
現在ブラストビート代表及び株式会社フィールビート代表を努める松浦さん。
松浦さんはどのような経験して、どのようなキッカケでビジネスの道に足を踏み入れ、ブラストビートと出会うのか。
また、ブラストビートは社会をどう変えていくのか。
注目のインタビューです!
高校1年生の時に何もすることが無く、遊んでばかりいたのですが、ある時クラスの友達にバンドでベースを担当するよう誘われて、引き受けました。
それまで楽器に触れたこともなかったですし、ベースについてもよくわからなかったのですが、本当に軽いノリでバンドに参加しました。
ライブで人に見せるようになってからです。高校生の演奏とはいえ、チケット代を頂いているので、それに見合う価値を提供できるように上手くならなくてはいけないと本気で考えるようになりました。
なによりも自分の演奏を聴いていてくれる人がいるから、いい音楽を提供したいという気持ちが1番でした。
好きなことにはとことん取り組むというメンバーに囲まれて、好きなことばかりをやり続けてきましたが、好きなことをやるからには責任もあるし、好きなことで自分自身が自分の人生を動かしているという感覚を得たことはとてもいい経験でした。
バンド活動の思い出は、ライブハウスでライブをやりたくて、会場を抑えることから始まり、チケットやポスターも自分たちで作成するなど、全部手作りでゼロからライブを企画したことです。
ゼロから企画する経験は起業家マインドを養うことにも繋がり、今のブラストビートや自分のビジネスにもいい影響のある思い出です。
ゼロから何かを作るという経験はとても良いもので、その中にはビジネスの要素がたくさん含まれています。また、アーティストとして右脳を使って色々な事をイメージしていたので、他の人に比べて、想像力が豊かになりました。
さらに、スケジュール管理能力は、バンドでの全国ツアーを企画する際に養う事が出来ました。
良い経験を得たけれど、二度とやりたくない職業は水商売です。水商売は人生の多様性を学ぶことができる職業だと思います。 自分が接客をしたり怖い目に遭ったりしていく中で、社会を形成するもののひとつとしてこういう世界があるということを肌で感じる事が出来ました。
また、「仕事帰りのビジネスマンから夜の世界で働く女性へ、その女性たちからホストクラブやバーで働く男性へ」というお金の流れもあることを知ることが出来ました。
道路工事の仕事では、生きていくタフさを学べたと思っています。今となってはブルーカラーとして社会に属するという経験はとても大変貴重なものでした。