人と違う事に挑戦
株式会社コンフィデンス / 是永 英治
大学時代に父を亡くした事をきっかけに没頭していた野球を断念。起業を決意したという株式会社コンフィデンスの是永社長。
株式会社コンフィデンスの事業は営業のアウトソーシング業、営業のアウトソーシングにより、日本社会の活性化に繋がるとおっしゃいます。
その真意とは?
父が高校野球をしていた影響で、3歳頃からずっと野球をしていました。野球をすることと、会社という組織を運営するということにはさほど違いがないと思います。キャプテンとして練習をリードしたり、一緒に練習をするのと、社長としてオフィスで従業員と働く事は全く同じ気持ちで取り組んでいます。
大切なことはどれだけグラウンドの隅から隅まで見ることができるかということですね。また、小学校の監督に「練習中は自分が一番下手だと思え。試合中は自分が一番上手いと思え」と言われた言葉は今でも自分の基本になっていますし、従業員を指導する上での基本にもなっています。
父が多大な借金を残し、お金に困窮していたので家族の生活を支えるために社会に出て働くという選択肢しかありませんでした。 大学を中退後、半年程はアルバイトをして生活費を稼ぎながら父親が残したものの後処理を進めていました。父を亡くした際に、職種も何も決めてませんでしたが、将来絶対に起業をするということは決意しました。
24歳で起業するという目標を持っていましたが、実際何をやっていいかわかりませんでした。悩みました。ただ、会社を経営していた父がよく話してくれたのは「どこどこに行ってこんな交渉をしてきた」という交渉ごとや営業の話ばかりでしたから、独立して成功するためには営業力を身に付けなければいけないと思い採用支援を行う会社に就職して営業を行いました。そこで営業力には自信がついたのですが、独立するには何かが足りないと思いました。それは事業全般を見る経験です。 そこで規模の小さな会社で新規事業全部任せてもらう経験をする為に、転職をして事業の立ち上げを行いました。
お金の事が良く分かっていなかったので、経理や財務をはじめとしたお金のこと、事業のことについて勉強し直さなくてはならないと気付き、勉強をする機会となった事が1つ。
また、私の座右の銘でもある「智名もなく、勇功もなし」という孫子の言葉があります。これは野球で例えるならば、ファインプレーをするよりもあらかじめ予測した上でポジションをずらして正面でボールを取る方がプロだというような事を示す言葉です。仕事でもいかにプロとしての仕事をするか、自分が前に出てファインプレーをするのではなく、他人が仕事をしやすいようにサポートできるかが大切です。
当時はまだ20代だったことと、自分が前に出るという気持ちが強かったんです。なので、今では手帳や自宅にもこの言葉を掲げ自分の戒めとしています。それに気づかせてもらえた事がもう1つですね。
自分にしかできない、難しいビジネスだと思ったからです。みんながやってみんなが成功するというビジネスであれば自分の存在価値がない。いくつかの選択肢の中からこの事業を選択して起業しました。