経営とは未来をつくること
ワタミ株式会社 / 渡邉 美樹
思い出したくない経験ですね。毎日胸に辞表を入れてました。休みは一カ月に半日。毎日20時間労働をしていました。いつ休んでいたのかと言うと、赤信号のたびに睡眠を繰り返すという状況なんです。3、4回は過労で倒れました。過労で倒れた事ありますか?指の先まで痺れて動けなくなるんですよ。
一つだけ決めている事があって、自分の中で少しでも「逃げたい」「辛い」という気持ちがあるなら、辞表を出すのをやめようと。なぜなら、経営は格闘技ですよね。一度でも敵に背中を見せたら、負ける事を覚えてしまう。そんな奴が経営者として成功するはずがないじゃないですか。その思いだけで、1年間宅配ドライバーをやり続けました。
そうですね。24歳の時にワタミ株式会社の前身となる有限会社渡美商事を設立しました。居酒屋チェーン『つぼ八』の店舗を買い取り、フランチャイズオーナーとしてスタートを切りました。 当初は、まったく素人の状態で居酒屋店長になりました。今だからこそ言えるのですが包丁も使えないし、刺身も切れない状況だったんです。しかし、一つだけ「素人であって良かった」と思ったのは、素人考えから、徹底的なお客様目線に立つ事ができたんです。
「もし自分がお客さまだったら何をしてほしいか」をとことん追求し、異常だと言われるほどのサービスを一切妥協することなく実践していきました。お店をきれいにするのは当たり前。テーブルクロスは必ず取り替える、おしぼりは膝をついて両手で開いてお渡しする、空いたお皿はすぐに下げる、灰皿の吸殻が3本になったら新しいものと替える。今では当たり前のことですが、当時は高級レストラン並みのサービス。この「異常なサービス」を徹底することで、ほかの居酒屋との差別化を図ったわけです。「異常なサービス」ぶりは評判となり、月に30万円程度しかなかった利益は半年後には300万円に跳ね上がりました。その後、勢いに乗って13店舗まで「つぼ八」を拡大します。
営業時間中はご飯を食べなかったですね。お客様に満足して頂けるか、気になって仕方がないんです。私は居酒屋経営者で飯を食う者は三流だと思いますよ。お客様の事を真剣に考えたら、ご飯が喉を通るわけがないんです。
おかげ様で全国に400店舗あるつぼ八のうちの売上ベスト13が私の店舗、という勢いでしたね。
当時はお好み焼き業態も運営していたのですが、ここの売上がバブル崩壊から一気に落ちてしまい閉店する事になってしまったのです。この27店舗の社員の受け皿が必要で、「居食屋」という新業態を開発し、東京・笹塚に居食屋「和民」の1号店を出店しました。 その後98年に38歳で、会社を東証二部に上場させます。これが予定より2年遅かったので、予定を2年早めて2000年3月に東証一部上場を果たしました。
2005年には社名を「ワタミ株式会社」に変更し、「地球上で一番たくさんのありがとうを集めるグループになろう」をワタミグループのスローガンに、100年以上存続できる企業を目指しています。現在、外食事業では香港、台湾、深?、広州、シンガポールへも出店し、アジアを中心に海外への積極的な事業展開を行い、また一方で、外食事業以外でも、介護付有料老人ホーム運営などを行う介護事業や有機野菜の栽培、酪農、畜産といった農業、さらには環境/メンテナンス事業など、その事業領域を広げています。
むしろ、逆です。いつ潰れてもおかしくないような状況を何度も何度も乗り越えてきました。ただ私は「苦労した」、とは一度も思っていません。失敗は失敗ではなく、成功のプロセスです。
よく言われるのが、「居酒屋経営者」が病院を経営している、「居酒屋経営者」が学校を経営している、という事。どうしてかは分からないのですが、世の中は居酒屋経営や外食産業を甘く見ている。しかし言わせて頂きたいのは居酒屋経営の方が他の事業に比べて遥かに難しいと感じています。我々の業界は何も保護がありません。参入障壁も非常に低いです。居酒屋というノーガードの殴り合いの戦場で鍛えられた事で、様々な事業が経営できるようになったと思っています。スタートが居酒屋だった事が成功の秘訣だったと断言できます。