世界と、一緒に輝く
株式会社HASUNA / 白木夏子
市場規模が大きく、企業数も膨大なので、一社ではとても簡単に解決できる問題ではありません。 しかしながら、ゆくゆくは「エシカルジュエリー」という考え方がジュエリー業界全体で一般的となるように、一歩一歩進んでいきたいと思っています。 HASUNAとの取引により、現地で数十人の雇用を生み出したり、職人が弟子を雇うことができるようになったりと、少しずつではありますが、徐々に変化は見えてきています。
小さいころから、アートの仕事に興味がありました。母がファッションデザイナーで、父も繊維関係の企業に勤めているということもあって、 アートに興味をもつのは私にとってはごく自然なことでした。また、愛知県一宮市という繊維の町で育ったのも大きいと思います。 綿織り機の音を聞きながら、小さいころ育ったという印象を持っているほどです。
そういう思いを持ちながら育ち、大学受験のときに芸大へ行きたいと親に告げると、猛反対されました。 アートの世界で成功できるのは、ほんのひとにぎりだからと、説得されました。 両親も、そういう世界で働いてきたので、身をもってその厳しさを体験したからこその反対だったと今では思います。当時の私は、親の反対を押し切ってまで自分はできるとは言えませんでした。 そこで名古屋の短大で英語を勉強し、イギリスに留学する経緯をたどることになります。
イノベーションのジレンマの話にも共感できましたし、将来の成長性も感じることができました。そして、何より社長の徳重に惹かれました。 理念もいい、人もいい、タイミングもいい、そして資金もありました。だったら、ここで勝負しようと決意したのです。 当時は社長と技術者が3人ぐらいの本当に小さな組織でしたが、迷わず飛び込みました。これが大学4年の4月です。その後一年間インターンを経験した後、そのまま入社しました。
途上国開発について勉強をするなかで、鉱山労働者の過酷な生活環境を知りました。将来は国際協力に携わるべく国連で働くことを目指していましたが、 果たして「援助で貧困はなくなるのか」という大きな疑問がわき上がりました。援助に関わるごく一部の人だけでなく、ほかの大勢の人々を巻き込む仕組み「=ビジネス」を作らなければならないと気づいたのです。 貧困を解決するためのビジネスについて考え始めました。そのとき、鉱山労働者が笑顔になれるようなジュエリーを作りたいと思い、ジュエリーデザイナーとして起業することを決心しました。 起業は、人生に一回くらいしかできないし、それなら命をかけようと思えたことが一番大きな理由ですね。 一度は諦めた夢ではありましたが、挑戦しないで後悔するよりも、失敗したほうがずっと良いと思えるようになりました。 成功の反対は、失敗ではなく、挑戦しないことだと自分に言い聞かせ、起業に挑戦しました。それと同時に別の見方をすると、自分の中にある気持ち悪さを解決するために起業したと言ってもいいのかもしれません。
インドの貧困の状況を目の当たりにしてから、ある種の気持ち悪さを抱えていました。インドを訪れたときは、学生で、お金も人脈もなにもありませんでした。 過酷な鉱山労働を手伝えるわけでもありませんでした。これほどの貧困の現状を見て、なにもできない自分がいました。それがものすごく気持ち悪かったんです。 その後も、勉強に打ち込んだり、インターンに取り組んだりしたのですが、なにもできなかったときに感じた気持ち悪さを拭うことができませんでした。 もし他にジュエリーを通して貧困問題を解決することに取り組んでいる方がいらしたら、一緒にやりたいとも思ったのですが、当時の日本には取り組んでいる方がいなかったので、自分がやろうと思い、HASUNAを設立しました。
起業するつもりは、元々はありませんでした。国連で働きたいと思っていた時期もありました。 しかし日本に帰国後、たくさんの起業家の方にお会いする機会に恵まれました。しかも年が近く、大体自分と5歳くらいしか変わらないような方々でした。彼らは若いのに、 イキイキと働いていて、起業ってものはこんなに楽しいのかと思いはじめ、起業の路線を考え始めました。
ビジネスの勉強がしたいと思い、就職しました。修行のつもりでした。なので、就職する際も、選択肢がいくつかあったのですが、その中で一番きつい就職先を選びました。 当時は、狂ったように24時間365日働きました。その分良い経験をすることができましたし、非常に勉強になりました。
ベンチャーをやっている人は皆さん経験することだと思うのですが、資金調達が大変でした。つまり、最初の一年目ですね。 0から1を作り出すことは本当に大変です。1から2、2から3と進むにつれて、その苦労は軽減されていきます。産みの苦しみという言葉の通り、はじめはものすごく苦しいわけです。 それを乗り越えられたのは、プロボノの皆さんを含めた周りの人たちの支えがあったからです。企業で働いていた時に、子会社の立ち上げも経験したので、 やるべきことはわかっていたつもりでした。しかし、それでも苦労しました。始めての業界ということもありますが、それほど起業というものは困難を伴うものだと実感しました。
その学生団体の活動をきっかけに、今まで出会ったことがないような優秀な学生と知り合うようになりました。そこで感じたのが、彼らはなにか夢を持って努力していたことです。しかし、私は努力では負けていない自信はある反面、やりたいことが明確にありませんでした。 目的がなかったので、団体での最後のイベントが終わると、燃え尽き症候群のようになってしまいました。そこで自分を見つめ直す期間として、一年間休学することにしたんです。