「落ちこぼれだった自分を変えた『未来ノート』
株式会社アイエスエフネット / 渡邉幸義
元々独立志向があり、外資系を選びましたからね。奥さんにもそう言って了承を得てから結婚しましたから(笑) 26歳の時にインターネットに出会い、これから世界が変わる事が確信しました。そこで、まずインターネットに関わる事業を立ち上げる上で必要最低限の知識を習得しようと決めました。仲の良かったSEに週に二度、終業後に2時間くらいインターネットの概要や技術について教えてもらったのです。
半年経った頃に事業計画書を書き上げ、ゴールとして「全世界でインターネット技術をサポートするエンジニアの育成、配置を行う」という事を掲げました。そこで「お金・人脈・経営ノウハウ」の3つが足りないという事に気付き、これを得るべく、32歳の時に社員4名のネットワーク会社に代表取締役副社長として入社しました。「生きた経営を学ぶためには、代表権を持って経営に携わる事が、自ら創業をした時に安定経営を行える一番の近道である」と考えていました。
今でもリアルな社会で起こったことがネット上で話題になることはありますが、これからは徐々にネット上の出来事がリアルな社会で話題になる事が増えてくると思います。 趣味の世界などでは、身近に同じ趣味をもつ人を探せれば良いですが時間や場所の制約を受け、忙しい社会人などですとなかなかコミュニティに入るのが難しいですよね。 例えば、当社がゲーム化している競馬というジャンルなどは身近に好きな友だちがいないとなかなか思う存分話し込むなど難しいのですがネット上の競馬コミュニティではいつでも多くの友だちができます。またゲームではリアルな競馬友だちとしてはちょっと世代が違う同士でも競馬ゲーム同士として一緒に楽しめる良さがあります。そういった良い点を集めたのがソーシャルアプリだと思っています。
2000年の1月、私が36歳の時に資本金1000万円で株式会社アイエスエフネットを創業しました。事業内容は「知識がなく、経験もない人間をプロのネットワークエンジニアにする」というものです。業界内では「不可能だ」と言われていました。2000年当時は、ITサービス業界は不況で、就職難であり「最低3年以上は経験がないと仕事がない」と言われていた時代です。
100名の若者を集めて、資格取得の為にスクールでの研修を受けさせるのですが、1人あたり50万円かかりました。単純に考えて4000万円の赤字です。理論的には到底できない事だと分かっていても、何とかして実現させたいという想いは強く、諦める事ができませんでした。
スクールを訪ね歩き、「講座を無料で受けさせて貰う代わりに、資格を取得したのちに、客先から得た1年分の収益の半分を返金する」という事を提案しました。ほとんど呆れられて話を聞いて貰えませんでしたが、諦めずに続けていると、ある日最後まで話を聞いてくれるスクールに出会う事ができました。
しかし、そこで担当者さん言われたのは「彼らが御社で働き続ける保証がありますか?」というものです。私は必死に社員やその担当者さんに思いを伝え続けました。結局、100名が1名も欠ける事なく資格を取る事ができ、受講料以上のお金を1年間で返す事ができました。
この経験が全ての土台になっています。それからの私はまず性善説で物事に当たるようにしています。相手に伝わらないのは、自分の想いが足りないからだと思うようになったのです。
苦労はたくさんありましたが、不安はありませんでした。何故なら僕は一切ブレないのです。それはノートしか見ていないからです。朝4時半に起きる、感謝の言葉を書く、1日のスケジュールを3ページ分びっちり埋める、1日300通メールを打つ、全てブレていません。大会社を創業者された方の家庭を見回すとダメになっているケースが多いのですが、僕は大丈夫です。200冊以上ノートを継続して書き続け、書いた通りに実行している事の積み重ねが、大きな自信になっているのです。
僕がノートを書かずに、起こるかどうかも分からない事に心配をし続けていたら、ストレスで色んな人に当たっていたと思います。お酒にも走ったでしょう。 D・カーネギーの「道は開ける」という本の中に平均値の法則というものがあります。引用すると、人は99%起こりえない事に対して不安を持つと言うのです。そう考えると、不安は結局、杞憂でしかないのです。ノートに書き出してみると、その事がよく分かります。