株式会社セールスアカデミー 宮脇伸二氏『福岡発!福岡・東京で事業展開 営業マン研修セールスアカデミー創業者宮脇氏の描く未来とは!?』
株式会社セールスアカデミー 宮脇伸二
これからは起業する前のお話をお伺いして行きます。
大学の入学式前日まではノーベル賞取ろうと思ってました。ワクワクしながら授業を受けにいったんですけど、初日の授業を受けたら全然面白くなかったのでその道はすぐにやめました。笑
もともと物理は苦手だったんです。
それでも一年間浪人しまして、物理がすごく得意で面白くなったので物理学科面白そうだと思って志望しました。
学生の時からいつか起業して経営者になりたいと思ってました。そこが一番最初のきっかけですね。
結構感覚の話になってしまうんですけど、まず1つは小学生の時、ラジコンにハマってました。静岡にタミヤ模型っていう会社があるんですけど、小学生5.6年生の時なんか、いずれそのタミヤ模型の社長になりたいと思ってました。愛知県の豊田市出身でそこまで車で1~2時間で行けるのもあって、すごい意識していました。それが1つ社長というものとの出会いのきっかけです。
あとは部活の時にキャプテンをしていたのも1つです。仕事をする時に、自分が研究職のように1つのものに向き合うというよりかは、自分がリーダーとしていろんな人と会いながら巻き込んで何かを作っていくと言ったほうが、自分の能力を伸ばす時にいいなって思っております。
さらに、僕結構サボりぐせがあるんです。せっかく浪人して入った大学にいきなり二日目から行かなかったりしてるんで。自分でその性格が分かっているんで油断するとすぐサボっちゃうんですよね。なのでサボれない環境に身を置こうと思いました。それで社会の中で一番厳しい環境ってどこなんだろうなって考えた時に、起業が1つあげられるなって感じました。そういったいろんな理由で起業という選択肢をとりました。
私新卒で銀行に就職しているのですが、銀行に就職した時はあまり考えていませんでした。その後銀行を2年半くらいでやめてしまったんですけど、その時に自分自身のキャリアを本気で考えました。当時26くらいだったので、10年後の36までには起業しようと決めました。
結果的には31で起業しました。早まったきっかけが1つありまして、28くらいのときにちょうど世間でホリエモンやサイバーエージェントの藤田社長が上場しているときでした。世間でもベンチャー企業がよく取り上げられていてちょっとしたブームだったんです。その時ドリームゲートっていう起業家のイベントが開催されていたんですけどそのイベントに参加してその2人の話を聞いたんですね。歳が私の2つ上くらいなんですけど、歳がたった2つ上の人が上場企業の社長。一方自分はというと観客の一人。という状況が妙に腹立たしくて、何やってんだろ自分って思いました。そこで3年以内に起業しようと決めて、準備を進めていったって感じです。
自分の起業が前進していないなって感じたからです。
もともと経営者に会う機会が多いという理由で銀行に入行しました。しかし仕事をしている中で実際社長に会っている仕事って全体の仕事の中の5%なんですね。残りは事務作業だったりっていうことで。それに加えて私は事務の仕事が苦手でした。あとは99年に入行したんですけど、当時バブル崩壊直後で、銀行が貸し渋りっていうのをやっていたんですね。中小企業から資金を引き上げるっていうのをやっていたんです。当時考えが幼かった部分はあるんですけど、弱いものいじめみたいに感じた部分があったんです。今はビジネスだって思ってやれると思うんですけど、当時の僕にはできなかったので、辞めました。
転職活動を始めるとき、初めて適性検査を受けました。その結果自分に向いているのはコンサルタントですと診断されたことがきっかけです。
その時初めてコンサルタントっていう職業を知ったんですけどそこでコンサルタントっていうものを調べていった結果、面白そうだなって思ってコンサルティング会社を何社か受けました。しかし受けたとこ全部落ちてしまったんです。理由は簡単で転職する人って求められる力って即戦力になるかどうかなんですよね。それでも最後の会社でとりあえず最初営業職ならいいよって言われました。その会社が前の会社であるビジネスブレイン太田昭和です。そこに入社をしてコンサルタントになったという経緯です。
いやその時はまったくなかったですね。
でも早く起業したかったので、その日から小さいメモ帳を持ち歩いて、ビジネスアイデアを100個くらい書き出しました。書き出したんですけど全部しっくりこなくて、そこから3年くらいかけて見つけていったって感じですね。その時はすぐにしたくていろいろ探していたんですけど。なかなか見つかりませんでした。